【裁判員制度元年】状況証拠評価、実刑に 東京地裁 最後の模擬裁判

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090228-00000103-san-soci

被告が、居酒屋で一緒に飲んだ同僚の男性と店を出た後、路上で男性に暴行を加えて死なせたという設定。弁護側は「被告が男性と一緒に行動していない『空白』の時間帯があり、第三者の犯行の可能性がある」と無罪を主張した。
「疑わしきは罰せず」とする推定無罪の原則の線引きをどう判断するかで、有罪か無罪かが紙一重。同じ条件の模擬裁判はこれまで、全国の地裁で36回行われ、有罪20件、無罪16件と判断が割れていた。
27日の評議では、無罪を主張する被告の供述の信用性が低いと判断され、8人が有罪を支持。無罪支持は1人のみだった。

終了後、裁判員役の主婦は「夫を亡くした被害者の立場に身を置いて考えた。スッキリした」と満足げに話した。一方、別の女性は「ずっと無罪だと考え、無罪に手を挙げようと思ったが、周囲の雰囲気に流され、有罪にした」と話した。

証拠構造がよくわかりませんが、「被告人の供述の信用性が低い」ということを、状況証拠の一つとして重視したということでしょうか。この論法であれば、有名なロス疑惑も有罪になったかもしれませんが、刑事裁判としてそれで良いのか、一種の「印象論」に陥って、結局、証拠に基づかない判断になってしまっているのではないかという危険性を感じるものがあります。それは、上記の記事にある「スッキリした」人のコメントにも感じます。江戸時代のお白州のような感覚で、目の前にいる人が犯人であるという強烈な予断にとらわれているのではないでしょうか。
これは模擬裁判ですが、実際の裁判になったら、「周囲の雰囲気に流され、有罪にした」人がいるため無罪が有罪になるという、目を覆いたくなるような現実が発生するということは容易に予想でき、刑事裁判がギャンブル化するのではないか、という危惧をますます感じるものがあります。劇場化、裁判ショー化もするようなので、刑事カジノにおけるギャンブル裁判、というところでしょうか。