http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090127-00000501-san-soci
裁判員制度をにらみ、検察側は「動機に酌量の余地があるでしょうか。いいえ、いかなる意味においても全くありません」と反語調で語りかけるように論告、「死刑。死刑に処すことを求めます」と「死刑」を繰り返して求刑した。
上記の事件の経緯を見ると、今後の刑事裁判、特に裁判員が関与する刑事裁判は、当事者が徹底して感情、情緒に訴え、法廷が「劇場」と化す、一種の「法廷劇場」のような場になる可能性が高いように思われます。元々、古い時代の刑事裁判にはそういった性格があって、大勢の群衆の罵詈雑言の中で一種の人民裁判が開かれたり公開で処刑が行われ数多くの弊害、悲劇を生んできたことは、歴史が示す通りです。近代の裁判は、そういった歴史に対する反省の上に立って、むき出しの感情、情緒により国家刑罰権の行使が不当な影響を受けないような、様々な制度を整備してきたはずでしたが、日本の刑事裁判は、国民の司法参加とか、わかりやすさの名の下に、時計の針を逆に戻す方向で大きく振れようとしているのではないかという印象を受けます。
誰かがどこかで、この流れを食い止めないと、取り返しがつかない事態になってしまうかもしれません。