前空幕長論文で首相「長年、見過ごしてきたのは問題」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081113-00000025-yom-pol

田母神氏が「自衛官の言論を政府見解に沿って統制すべきではない」と主張したことについて、首相はこうした考え方を改めて否定。「空幕長となると、公の場で常識に違っていることや、政府見解と違った発言をすることは制限されざるを得ない。それがいやなら、任務に就くべきではない」と強調した。

歴史を熱心に勉強している中学生や高校生でも書かないような、雑ぱくな、思い込み、事実誤認だらけの「感想文」を「論文」と称して恥も外聞もなく発表したり、そこに書いてある内容について批判されても反省も何もしない、といったことは、「個人」としては自由でしょう。しかし、公務員、公人として、そういった行為を自由に行えるはずがなく、麻生首相が言っている通りだと思いますね。
上記のような行為を平気で行う人物が、空幕長のような要職についている、ということになると、国民の多くは不信感を抱くでしょうし、諸外国も、そのような人物がそういった要職についていることに強い警戒感を抱くでしょう。要するに、自らの言動により国益に反するような事態を招くべきではなく、その地位に応じた慎重な言動が求められるということが、この人物は理解できていないのであり、そういった人物が、長年、自衛隊内にあって空幕長という高位高官まで上り詰めてしまった、というところに、自衛隊という組織の、幼稚で、だからこそ危険な体質を感じます。
私自身は、特に戦前の日本の国策、旧軍(特に陸軍)の暴走には、それなりに歴史を知る中で強く批判する意見を持っていますが、戦前の日本がすべて間違っていたとは考えていないし、戦後の日本が数々の反省の上に立ち国民の努力の上に繁栄を築き上げてきたことには、誇りを持って良いと考えています。また、長い歴史を誇り、私自身をここまで育ててくれた日本という国家を、私なりに愛しており、そういう意味での愛国心も持ち合わせています。歴史について事実は事実として直視し反省すべき点は真摯に反省する、ということと、母国、祖国を愛する、ということは、相反することではなく、十分両立するでしょう。多くの心ある自衛官も、おそらく、私と似たような気持ちを持っていて、一朝有事の際には、祖国を守るため一身を挺して戦う覚悟ではないかと思います。日本が他国に侵略され国土が戦場になるような事態になれば、私自身、元寇を撃退した鎌倉武士やナチスドイツに抵抗したレジスタンスの域には達しないとしても、自衛隊に協力し、武器を取り地を這い砂を噛みゲリラになっても侵略軍と徹底的に戦う覚悟です。しかし、こういった空幕長がいるような自衛隊であれば、協力すべきか疑問を感じます。
日本の歴史が正当化できないから日本を愛せない、日本を愛するためには日本の歴史を正当化しなければならない、といった感覚、発想には、大きな問題があると私は思います。