裁判員裁判の控訴審は1審判決尊重を…司法研修所研究報告

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081111-00000064-yom-soci

国民から選ばれた裁判員が参加し、国民の感覚が反映された1審の判決を、職業裁判官だけで容易に覆せるようなら、制度の意義が損なわれるとの理由から、裁判員制度控訴審のあり方が課題とされていた。
報告は、1審の事実認定を控訴審がチェックする場合、「1審の判断が経験則上、明らかに不合理な場合でない限り、1審を尊重すべきだ」と述べた。量刑判断についても「不合理であることが明らかな場合を除き、1審の判断を尊重すべきだ」と指摘。「1審を破棄する場合は例外的なものに絞り込まれる」とした。
ただ、死刑か無期懲役かが問題となるケースは、「死刑の適用は慎重に行われなければならない」とし、控訴審でも慎重な検討を要すると指摘した。報告は控訴審で調べる新たな証拠の範囲は「相対的に狭くなる」としたが、1審の公判前整理手続きで証拠を絞りすぎた結果、重要証拠が審理されていなかった場合は「1審判決を破棄できる」と述べた。

以前、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070513#1179029267

などでコメントしたように、現状が変わらないまま、そこに裁判員制度が出現すれば、裁判員が関与した一審判決が、次々と高裁で見直され破棄される、それも検察ペースで、ということになる可能性が高いでしょう。裁判員が入った裁判体の判断が間違っていた、と言われてしまえばそれまでですが、そうなれば、何のためのイバン人制度化、ということになり、それでなくても開始前から国民に見放され気味の裁判員制度がさらに危機的状況になりかねず、最高裁としても検討の必要性を感じたのでしょう。
ただ、よくわからないのは、上記のような、「1審を尊重すべきだ」といったことが、現行の刑事訴訟法の解釈として言われているのか、あるいは、そうではなくて、単なる「べき」論として言われているのかということでしょう。前者であれば、裁判員制度が導入されて急に解釈が変わるというのもおかしな話ですし、後者であれば、単なるべき論が、頭が固く保守的な高裁(先日、某所でお会いした、本ブログを見ていただいている某高裁部長には、こういう言い方は申し訳ないのですが)に対し、どこまで通じるのか、という問題が当然発生するでしょう。
さらに言えば、量刑について、高裁の職業裁判官から見て、裁判員裁判の量刑が重すぎて、あるいは軽すぎて不当、ということはかなり発生する可能性があり、そういう場合に、明らかではないからとして控訴を棄却してしまうことに抵抗を感じる裁判官は当然いるはずであり、そういったことを言いつつ、死刑か無期かという場面では、一転して「死刑の適用は慎重に」ということで、裁判員裁判で宣告された死刑判決が「明らかに」重すぎるとは言えない場合も見直すことがある、というのは、いかにも一貫性に欠けているのではないかという印象を受けます