三浦元社長自殺 高まるロス市警批判 疑念と無念 交錯

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081013-00000067-san-soci

10日午後9時45分ごろ、通りかかった係官が、意識を失って倒れている元社長を発見した。30分ごとに監視を行うことになっていたが、発見されたのは巡回のわずか10分後だった。
市警は自殺の懸念はないとみて、常時監視の施設には収容しなかった。

この種の施設における自殺防止は、永遠の課題と言っても過言ではなく、日本でも、施設側が注意を払う中で、収容者の自殺ということが起きています。日本でも24時間体制で収容者の動静をカメラで監視できる房もありますが、すべての収容者を厳重監視下に置くわけにも行かず、なかなか悩ましいものがあります。
収容者の動静に注意し、動揺や自殺をほのめかすような言動等があれば、その状況に応じた適切な対応を講じることが重要になりますが、三浦氏の場合、米国の施設に収容され、施設側との意思疎通が十分行われていたかどうか疑問があります。日本、特に東京拘置所という、日本でも有数の施設に長年身を置き、刑務官とも十分な意思疎通を行いつつ生活することに慣れていただけに、そうではない環境に身を置き先が見えない状況の中で、次第に孤立感、絶望感を深めて行った、という可能性はあるのではないかと思います。
一見、強気、快活に見えていても、実際はそうではない、という人もいて、三浦氏もそういったタイプであったのかもしれません。