「日本ではまず謝るべきだった」(アルフレッド・N・シンドラー 日経ビジネス2008年8月25日号「敗軍の将、兵を語る」)

エレベータ事故で日本全国中に名前がとどろいてしまったシンドラーですが、シンドラーホールディング会長が、上記の記事で語っている内容が非常に印象的でした。
事故後の経緯をいろいろと述べる中で、

日本の社会ではそのような場合、法的責任の有無にかかわらず、その視点を超えて、社会的責任の観点から謝るべきところは謝らなくてはならなかったのです。しかしそれを知り、理解したのは、随分と後のことでした。
我々はグローバル企業として、発言する言葉に非常に慎重になっていました。例えば米国では「申し訳ない」と言っただけで、罪を認めたことになる。裁判でも証拠として扱われます。しかし、日本の文化はそれとは全く異なっていました。
(123ページ)

と述べていました。
かつて、本ブログでも、

日本の刑事裁判における「反省」
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070313#1173717314

とコメントしたことがあり、外国の通信社の取材を受けそういったことを話したことがありましたが、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070319#1174262946

日本人のメンタリティ、カルチャーとして、確かにシンドラー会長が言うような面はあって、刑事裁判の場に限らず「謝る」ということを求められ、そういった姿勢が「赦し」にもつながって行く、そのようなプロセスを経て再び共同体(一種の観念上のものになると思いますが)の構成員として迎え入れられて行く、という側面があるような気がします。
外国人や外国の企業にしてみれば、そういった側面がなかなか理解しがたいのは当然のことであり、シンドラー会長の、戸惑いや驚きを率直に語る内容が、非常に印象的に感じられた記事でした。