http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080612-00000055-mai-soci
小法廷は「憲法が定める表現の自由の保障の下、番組の編集は放送事業者の自律的判断に委ねられる」と指摘。取材対象者の「期待・信頼」が法的に保護され得るのは、取材に応じることで著しい負担が生じ、取材側が「必ず取り上げる」と説明したような極めて例外的な場合に限られるとし、団体側の主張を退けた。
私の場合、時々、取材に応じることはありますが、著しい負担が生じるよう取材は受けませんし、そもそも、報道というものに対する期待とか信頼というものが、まったくないとは言いませんが、かなり希薄なので、最高裁に言われるまでもなく、法的には保護されないでしょう。
それはともかく、私のような人ばかりではなく、むしろ、いろいろなことを期待しつつ取材に応じる人は数多いという現状がありますから、期待や信頼が裏切られた、といった事態が生じた場合、どこまで法的に保護されるかは、なかなか悩ましい問題です。その意味で、この判例の持つ意味は小さくないと思いますが、取材に応じたことによる「著しい負担」(判決文では「格段の負担」)を要件としているのは、ややハードルとして高くて窮屈、という気がします。その種の期待や信頼の保護に偏することが、その反面として表現の自由を制約することになり慎重になるべきであることは最高裁が指摘するとおりですが、「著しい負担」(格段の負担)までは生じていない場合であっても、期待、信頼が法的に保護されるに値するケースはあり得るのではないか、と思います。その意味で、やや狭く限定しすぎたのでは、という印象も受ける判決です。
参考:
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2008/06/arretnhk_ea7f.html