高杉晋作「外国の形勢私であればこそ」渡航直前の手紙発見

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080306-00000064-yom-soci

書簡は、渡航2週間前の4月15日に長崎で書かれた。攘夷(じょうい)派の中心人物だったにもかかわらず、アジアにおける西洋の窓口だった上海へ赴くことへの心情を率直に吐露。「藩主から大任を受けているのだから(自分を批判する)風評や伝聞くらいのことでは動じることはない」、「風評がかなり多いが、外国(列強)の形勢は私であればこそ探索できる」など、同志たちからの反発を感じながらも使命感にあふれた言葉が並ぶ。
幕府の一員として外国へ行くことへの風当たりが強かったとされていたが、本人の言葉でその事情が裏付けられたのは初めて。

高杉晋作に関する私のイメージは、司馬遼太郎の「世に棲む日日」と、昔のNHK大河ドラマ花神」(若き日の中村雅俊高杉晋作を演じていました)で形成されているといっても過言ではありませんが、世に棲む日日では、上海に渡航して見聞を広めたことが、高杉晋作を単純な攘夷論者から進化させ、その後の「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」という大活躍へとつながることになった、と記憶しています。
世に棲む日日における高杉晋作で、私が最も好きな場面は、一も二もなく「功山寺挙兵」ですね。

http://npweb.com/kouzanji/Files/history.html

にもある通り、長州藩が親幕府勢力に支配され、絶望的な状況にある中、僅か80人ほどで挙兵してクーデターを起こし、勢力を拡大して長州藩を倒幕へ一変させた、その働きには目覚しいものがあり、救国の英雄と言っても過言ではないと思います。
私も、20代の頃は、尊敬する人、目指す人と聞かれると、必ず「高杉晋作」と言っていたものでしたが、その域には遠く及ばないまま、現在に至ってしまっています。