名誉棄損「ネットは別基準」 書き込みで無罪 東京地裁

http://www.asahi.com/national/update/0229/TKY200802290352.html

男性は、飲食店グループを経営する企業と宗教団体が一体であるような文章をホームページに記載したとして、この企業に刑事告訴され、東京地検は04年に在宅起訴。並行して、民事の損害賠償訴訟も起こされ、77万円の支払いを命じた敗訴判決が最高裁で確定した。
29日の判決は、書き込みの内容について「同社が宗教団体と緊密な関係にあるとは認められない」とし、真実ではないと認定。真実だと信じた確実な資料や証拠もなく「従来の名誉棄損罪の基準では無罪となることはない」と述べた。
その一方でネット上の表現行為については、中傷を受けた被害者は容易に加害者に反論できる▽ネット上で発信した情報の信頼性は一般的に低いと受け止められている――と指摘。発信者に公共の利益を図る目的などがある場合、「真実でないことを知っていて書き込んだり、ネットの個人利用者なりの調査をせずに発信したりしたときに罪に問われる」とした。
その上で「男性はネットの個人利用者としての情報収集もした上で、内容が真実だと信じていた」と述べ、刑事責任は問えないと結論づけた。

アメリカの判例で、「現実の悪意」(actual malice)の存在をを名誉毀損の成立要件とするものがありますが、上記の「真実でないことを知っていて書き込んだり、ネットの個人利用者なりの調査をせずに発信したりしたときに罪に問われる」とする点は、「現実の悪意」法理を持ち込んでいる、という印象を受けますね。
なかなか良く考えていると思われ、また、この分野における名誉毀損罪の成否を考える上で画期的な判決であるとは思いますが、従来の名誉毀損罪に関する考え方や判例理論との整合性、一貫性からは逸脱していることや、「ネット上の表現行為」や「個人利用者」について、そうではない表現行為や個人以外の利用者とは区別して、異なる法理を適用する合理性、といったことも、今後、かなり問題になるように思います。
例えば、現在のように、ネット上で様々な情報発信者が存在する場合に、「個人利用者」と言っても様々であり、中には、メディア並みの情報収集能力や多大な影響力を持つ人もいますが、そういった「個人利用者」と、純然たる市井の一個人を同視するのか、という問題も、当然、出てくるでしょう。
東京地検は、おそらく控訴するはずですから、今後の東京高裁の判断が注目される、ということになります。