艦長「申し訳ありません」 目を赤くし頭下げ続け

http://www.asahi.com/national/update/0228/TKY200802270395.html

治夫さんと哲大さんが、ふだん家族と食事をともにしていた四角いテーブルのある居間には、親族7人が座った。テーブルの前に治夫さんの兄・高志さん、その隣に治夫さんの姉と妹が並んで座り、舩渡艦長、吉川栄治海上幕僚長とテーブルをはさんで向き合った。居間の端には、体の弱い治夫さんの妻と母親。艦長と海幕長は正座し、両手をじゅうたんにつけて頭を下げ、謝罪の言葉を述べたという。

戦前の旧軍の時代に、同様の事故が起きたとして、海軍軍令部総長や艦長が、被害者方へ謝罪に行ったかどうか、ということを、ふと思いました。戦前にはあり得ないことで、戦前と戦後の日本の大きな違いということを感じます。どちらの社会に身を置きたいか、と言えば、2つ下のエントリーで取り上げた記事を書いた産経新聞の記者は「戦前」なのかもしれませんが、私は「戦後」のほうですね。
上記のような謝罪の様子を記事で読み、潜水艦「なだしお」と釣り船の衝突事故の際にも、似たような場面を見聞きしたことを思い出しました。当時、自衛隊の体質や安全に対する配慮のなさなどが、厳しく批判されたものでしたが、また同じことが繰り返されている、という印象を強く受けます。こういった事故の記憶というものは、起こした組織の中で、徐々に薄れ、忘れられて、再び同じ過ちが繰り返されてしまう、というものなのかもしれません。その意味で、日航ジャンボ機墜落事故における日航のように、世論により叩かれた結果とは言え、安全啓発センターのような施設を作り、事故を風化させず安全を誓いつつ業務にまい進する、ということは、意義あることと言えるように思います。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070811#1186813516