http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080226/crm0802261948025-n2.htm
警察庁幹部は「これだけの時間が経ってから新たな物証が見つかることは常識的に難しいのでは」と指摘。その上で「日本の捜査機関の感覚からすると、犯行に直接関与した人物か、謀議に加わった人物の証言が得られたのではないか」と述べ、新証拠が実行犯ら共犯者の新たな証言ではないかとの見方を示している。
私は、「新証拠」というものがあるとすれば、上記の警察庁幹部氏が指摘するような、共犯者、あるいはそれに準じる者の証言(その真偽はともかく)ではないか、という気がしています。
年月の経過は、人の記憶を薄れさせ証拠を散逸させるものですが、その一方、長い年月が経過する中で、ある犯罪を犯したものが、思わぬところで尻尾をつかまれる、ということが起きてくることもあります。尻尾のつかまれ方は、第三者への不用意な告白であったり、別の犯罪の嫌疑の下での捜査中に発覚したり、と様々ですが、アメリカの場合、潜入捜査や司法取引など、日本では行えないようなダイナミックな捜査が可能なので、様々な捜査の中で、長い年月を経て決定的(と思われる)証拠が発見される、ということは、日本以上にあり得ることのように思います。
LAで公判が開かれることになりそうですが、公判の行方が非常に注目されると思います。時間とお金があったら傍聴に行きたいくらいです(無理ですが)。