成田ゲリラ沈静化を考慮、県収用委氏名を19年ぶり公表へ

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071210i515.htm

千葉県収用委は1988年、成田空港の用地収用の前提となる審理の再開を巡って、当時の会長が襲撃され重傷を負ったほか、委員への脅迫が相次ぎ、全委員が辞任する事態に発展。同年から04年12月に現在の委員が任命されるまでの間、全国で唯一、委員不在が続き、機能停止状態となった。04年の委員任命後も、土地収用法で原則公開の審理が非公開となるなどしていたが、今年6月、審理の公開に踏み切り、さらに今回の氏名公表で19年ぶりに正常化されることになる。

上記の襲撃事件では、確か、弁護士でもある会長が襲われて、一種の見せしめのような形で手か足(あるいは両方)の骨を、狙いすましたように折られていたはずで、テロとしてはかなり残忍な部類に入るもの、という印象を持った記憶があります。時代が移り変わり、成田空港を巡る状況も大きく変わった、ということでしょう。