反核の志、半ばに…伊藤市長の足跡をたどる

http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_07041854.htm

地方政治家として、かなりの人物であったと、この記事を読んで思いました。惜しい方を失ってしまったものです。残念です。

幕末、長崎でも活動し、志半ばで倒れた志士の坂本龍馬を敬愛していた。
政治不信は広がり、若者の政治離れが進む。「必ず誰かが政治をやらないと社会は良くならない。将来、政治家の育成に取り組んでみたい」と意欲を見せていた。描いていた夢はかなわないままだった。

坂本龍馬暗殺がなければ、もし明治後にも生きて活躍していれば、日本はもっと良い国になっていたのではないか、と思うのは、おそらく、私だけではないでしょう。
この事件を、安易に運とか運命と片付けるべきでないことは言うまでもありませんが、人には生きるべき時もあれば死ぬべき時もあり、自分自身ではどうしようもない運命というものは、やはりあるように思います。
人の、生物としての生命は、死ぬことにより終了しますが、希望とか志といったものは、そういった限界を乗り越え、後に続く者により受け継がれて行くものであり、また、そうでなければならないと思います。
その意味で、伊藤市長の夢や意欲を、いかに今後、受け継いで行けるかどうかが、残された者に課せられた使命であり、受け継ぎ発展させて行くことが、せめてもの供養になる、というものではないかと思います。