「ヒルズ黙示録・最終章」

ヒルズ黙示録・最終章 (朝日新書)

ヒルズ黙示録・最終章 (朝日新書)

購入したままで読めていませんでしたが、堀江被告人に対する判決が出たこともあり、読んでおこうと思い、一気に読みました。
公判の捉え方については、以前、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20061002#1159717558

でも述べた通り、一見、検察官申請の証人が追い込まれ崩れ去ったように見えても、裁判所により核心部分の信用性は認められたり、捜査段階で作成された検察官調書のほうが採用されより高い信用性が認められる場合もあるので、この本に書いてあることを全面的には真に受けられないな、という印象を受けました。
村上被告人の公判で、検察官立証が難航しているとの報道が目立ち、確かに、あまり順調ではないようですが、事件の「筋」という観点で言うと、やはり、検察ストーリーのほうに、やや分があるのかな、という気が、この本を読んでいてしました。検察ストーリーでは、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20061017#1161018378

でも触れたように、2004年11月8日に、ライブドアによるニッポン放送株大量取得方針が村上被告人側に伝達された、とされていて、現在、それがもっと後だった、という争い方がされているわけですが、11月8日以降、村上ファンドが、次々と大量にニッポン放送株を取得していることをどう見るか、ということが、おそらく、裁判所の有罪、無罪の心証に大きく影響するのではないか、という気がします。村上被告人ほどの人が、他人から預かった資金を、なぜ、ここまで大量に投入して買いまくったのか、ということについて、弁護人が無罪を勝ち取ろうとすれば、検察ストーリーを上回る説得力ある説明をする必要があり、それができなければ、裁判所の心証が大きく有罪に傾く可能性が高いのではないか、と、この本を読みながら思いました(あくまで感想です)。
こういった、事件の「筋」というものは、それだけで事件の帰趨が決まるものではないものの、特に、知能犯事件では、個々の証拠だけを漫然と眺めているだけでは有罪なのか無罪なのか永遠に結論が出ない場合が多く、同じ証拠関係でも、筋の捉え方で有罪にも無罪にもなる、という事件は少なくなく(だからこそ、証拠関係がそれほど変わらないのに原審と上訴審で結論がまったく異なったり、ということも起きます)、村上ファンドに係る事件についても、その辺が結論に大きく影響する可能性は高いように思います。