鹿児島県議選違反 12被告全員「無罪」、ずさん捜査“完敗”

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070224-00000004-san-soci

公選法違反事件の公判では3年、大阪地裁が122被告に無罪を言い渡した例や、5年に松山地裁が出した43被告への無罪の例がある。大阪地裁は判決で「自白は不自然、不合理で信用できない」と指摘。松山地裁判決も自白の強要など捜査の違法性を指摘した。

私は、選挙違反事件の立件過程に、そもそも問題があったのではないか、という印象を持っています。
選挙違反事件の立件にあたっては、まず、警察が情報収集、内偵を行います。元の「情報」には様々なものがあり、ガセネタも少なくありませんから、内偵捜査は慎重に行われるものです。選挙違反で、警察が積極的に動くのは、衆議院総選挙(この選挙だけは「総」がつきます)と統一地方選挙で、そういった選挙の際には、各都道府県警察としても、「うちでは何もありませんでした。」というわけには行かない面があるようで、何か立件したい、ということで一生懸命になる、という面はあるようです。鹿児島の選挙違反事件は、前回(4年前)の統一地方選挙における県議選が問題になったということですが、まず、その点において、「無理をする」背景があった、ということは指摘できるでしょう。
内偵の結果、立件できるもの、できないものが警察内で選別されますが、まず、この段階で、落とすべきものが落とされないと、その後に尾を引くことになります。選挙違反などの知能犯事件では、限られた情報から「絵を描く」能力が必要で、この分野で有能な人材(典型的なのは東京地検特捜部で副部長や部長になるような人々)は、こういった能力に長けていて、限られた情報から、この事件は立つ、立たない、ということを的確に判断するものです。鹿児島県警は、上記の事件について、まずこの段階で失敗したのでしょう。
警察が選挙違反事件を立件する、という方向に動くと、大別して、警察庁への報告と、検察庁への相談、という、2つの動きが出てきます。前者については、私自身、直接の経験はないので、実情はよくわかりませんが、その過程において、この事件はやめておこう、という判断が加わることもあるかもしれません。しかし、事件が少ない都道府県警察では、何とかこの事件はやりたい、と必死になるもので、また、警察庁としても、報告について積極的にネガティブな方向で介入するということもおそらく困難で、鹿児島の事件において、その過程で自浄作用が働くということは、あまり期待できなかったのではないかと思います。
肝心なのは、検察庁への相談、という過程でしょう。鹿児島地検程度の規模の地検では、相談窓口は3席検事か、その次の4席検事(という言い方は正式にはありませんが、修習期で3席検事の次の検事です)が担当し、次席検事も検討に加わり、当然、検事正にも報告しつつ、という流れで、検察庁としてどのように対応するか、という判断を行います。通常の刑事事件でも、こういった事前相談が行われることはよくありますが、選挙違反事件、特に当選議員を検挙する(必然的に身柄を拘束することになる)場合、検察庁として、確約まではさすがにしないものの、立件、逮捕、勾留した以上、起訴する、ということが、暗黙の了解のようになるのが通常でしょう(もちろん、証拠上、難点があるのに起訴はできない、というぎりぎりの一線は保たれますが)。現職議員、特に県議のような立場の人を逮捕、勾留しておいて、起訴できませんでした、というわけには行かない、というのは、この種の捜査を担当した人であれば共通する認識だと思います。
検察庁への相談の過程で、次席検事、3席検事、4席検事といった人々に、知能犯事件に対する見識があれば、駄目な事件はやめておく、というブレーキがかかることになります。検事正によっては、特捜経験が長い特捜畑で有能な人、という場合もありますから、次席検事以下が頼りなくても、そういった検事正が主導権を握って適切に判断する、という場合もあります(その意味では、大鶴東京地検特捜部長が検事正で赴任した函館地検のような地検は、統一地方選挙を前にして、恵まれた環境と言えます、良かったですね>函館地検)。
鹿児島の選挙違反事件では、ここでも、適切な判断が加えられることなく、立件へ向けてゴーサインが出されてしまったものと思います。
そうなると、警察としては、警察庁へは報告してしまった、検察庁にも了承を得た、当選県議を逮捕、勾留した、ということになり、今さら後には引けない、ということになってしまいます。この「後には引けない」という点が、上記の事件を破滅へと導いた大きな理由だと思います。
この種の事件で駄目な事件というのは、やればやるほど、矛盾点、不合理な点が次々と噴出し、穴が次々とあいて決壊するダムのような状態になります。何とか辻褄をあわせようとすると、この人がこの会合に出ていないとおかしい、とか、逆に、この人がこの時ここにいてはいけない、といった話が次々と出てくるので、無理な調書を次々ととる羽目に陥ります。調書がとれないと、事件がまとまらず、とられるほうも、記憶にもなく言ってもいないことが調書にとられようとすれば、当然、抵抗しますから、「踏み字」で字を踏ませてみたり、暴言を浴びせたりして、無理矢理調書をとる、ということになってしまいます。こうなったら、捜査はもう終わりです。
ここまでひどい状態になれば、検察庁としても、異例なこととはいえ、起訴を見送るという判断をすべきですが、当時の鹿児島地検は、そういった判断ができなかったのでしょう。その意味で、警察以上に、検察庁の責任には大きなものがあると思います。その後の訴訟追行を見ても、勾留期間が長期にわたったり、これだけでのデタラメな事件で審理期間が4年ほどにも及んで、その間、関係者が多大な負担を被るなど、有罪に固執した検察庁の責任には多大なものがある、というのは、単に私だけの見方ではないでしょう。
この事件の教訓を今後に生かすためには、上記のような立件検討過程において、慎重、消極的な見方も十分検討し、良い意味で「絵が描ける」人が良く見て判断する(そういう人は「絵が描けない」と思えば潔く立件を断念するものです)、身柄をとった上での捜査の結果、良質の供述も得られず有罪獲得が困難であると判断すれば、当選候補者が絡む選挙違反事件であっても、検察庁が思い切って不起訴にする、ということが強く求められると思います。
検察庁は、よく、警察を適切に指揮、指導する、ということを言いますが、口で言うだけでは駄目であり、過去の失敗例(上記の鹿児島の選挙違反事件は、日本に人が住んでいる限り長く語り伝えられ教訓とされるべき失敗例でしょう)を分析、検討するなど、日頃から地道な研鑽を怠らず、立件するかしないか、起訴するかしないか、といった重大局面で、培った見識に基づいて、多くの人々が不幸になったり検察や警察の威信が失墜することがないよう、的確な判断が行えるようにすべきでしょう。
この選挙違反事件により、鹿児島県警や鹿児島地検に対する県民の信頼が大きく損なわれたことは確実であり、今後の事件処理等に、多大な支障が生じる可能性が高いと思います。「お金で買えない価値がある」いう意味では、捜査機関としても、お金で買えない、非常に大切なものを失ってしまい、その回復への道は決して平坦なものではなく、辛く苦しい道である、ということが言えると思います。
報道では、警察が徹底的に批判されていて、それは当然のことですが、こういったデタラメな事件を起訴してしまった鹿児島地検の責任というものも、強く問われる必要があり、報道でも、その点について抜かりなく指摘する必要があると思います。

参考:

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060503#1146650314

背任事件についてコメントしたものですが、選挙違反事件にも共通するものがあります。