http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061231-00000016-san-soci
現在、行っている捜査の一端が具体的に紹介されていますが、捜査の手の内を見せる、ということは、普通はやらないことで、警察が、そこまで行った上で、犯人やその周辺者に一種のメッセージとして伝わることを期待し、停滞している捜査を大きく動かして前進させようとしていることがうかがわれます。
刑事事件では、難しい事件、迷宮入り寸前の事件など見事に解決することで、国民の捜査機関に対する信頼を高め、高まった信頼により、さらなる情報提供、協力を呼び込んで、次々と事件を解決して行く、という、一種の好循環を作る必要があります。この点で成功している代表例が東京地検特捜部でしょう。
凶悪重大事件は次々と時効、一生懸命追いかけているのは、ビラ配りや、卒業式でほんの少し騒いだ元教師、次々と発覚する警察官の不祥事、という状態では、上記のような好循環は生まれず、悪循環に陥ってしまうだけです。
その意味で、世田谷一家殺害事件を解決できるかどうかは、日本警察の今後を大きく左右する重い十字架と言っても過言ではないでしょう。この記事の最後で、「事件は7年目に入り、刑事警察の真価が問われている。」とあるのは、正にその通りであると思います。
捜査というものは、真実が解明される寸前、起訴できるかどうかが微妙なものが起訴できるに至る寸前、という状態が、最も辛く苦しいものです。そのように思いつつ、ご遺族や国民の期待に応えるだけの成果を必ずあげてほしいと思います。>捜査本部