http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2006/12/post_ac15.html
小倉先生の上記ブログの新デザインは、なかなか良いですね。
それはともかく、上記エントリーについては、考えさせられるものがありました。難しいのは、法科大学院の中で、適格性に欠ける、あるいは乏しくて司法試験合格が難しい学生を、いつ、どうやって「切る」か、ということでしょう。
この問題は、旧司法試験の時代にあっても、本質的には同じものがありましたが、当時は、「切る」というよりも、各自が自分の適性等を考えつつ、自ら見切りをつけ別の道へ転身する、といったことが中心だったと言えると思います。なかなかその辺の見切りをつけることができず、ベテラン受験生化して行く人々も相当数いましたが、受験回数に制限がなかったことや、司法試験があまりにも難関で、合格できないのが普通、という試験であったこともあり、志を捨てず夢を持ち続けながら毅然と受験を続ける、という人々が多かったのも事実です。
しかし、法科大学院という制度が導入され、それ以外のコースで法曹になる道は、将来はともかく今のところは旧司法試験しかなく(それも次第に合格者が減少する)、しかも、法科大学院卒業後の受験回数が制限される、という状況にあっては、各自が自発的に「見切る」ことは、なかなか期待にしくく、誰かがどこかで引導を渡す、という必要性が飛躍的に高まったと言えるのではないかと思います。卒業後に引導を渡したり、そういった機会がないまま制限された受験回数内で合格できなければ、他へ転身するしかありませんが、かなり厳しい状況に置かれてしまうことは避けられないのではないかと思います。
やはり、法科大学院在学中に、適性がない、あるいは乏しくて司法試験合格が困難な学生に対しては、法科大学院が、きちんと見極め、転身を勧める、ということが行われるべきでしょう。
ただ、こういったことが、現在、どこまで行われているか、ということになると、かなり疑問であり、とてもそういったことはできない、という法科大学院が少なくないのではないか、と推察されます。とはいえ、漫然と卒業させ、合格の見込みがない試験を受けるに任せ、では、法科大学院としても、あまりにも無責任であり、見込みのある人々には適切な教育を行う一方で、見込みがない人々に対しては、早期に転身を図るよう導く、ということも、同時に行う必要があると私は思います。