「痴漢」被告の保釈を却下

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2006/12/09/05.html

罪証隠滅の恐れがあって裁量保釈も不相当、と判断されたものと思われますが、証拠関係や今後の立証予定がよくわからないので、原審が認めた保釈決定を取り消した東京高裁の判断の当否は論じにくいですね。
ただ、どちらも職業裁判官が証拠にも目を通した上で慎重に検討したはずの判断が、保釈許可と却下で全然食い違ってくる、というところに、罪証隠滅の恐れという要件が本質的に持つ曖昧さ、どうにでも判断できる融通無碍な性格が出ている、ということは言えるでしょう。
そういった点が、現在の我が国で「人質司法」と批判されている運用を可能にしているということは指摘できると思います。
刑事訴訟法89条4号の「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」という要件を削除するか、それが難しければ「相当な」を「十分な」「明らかな」と変更するだけでも、人質司法状態の大幅な改善につながるでしょう。
人質司法を支えるものとして大きいのは、起訴された被告人の圧倒的多数が有罪になる現状、そういった現状を支え迅速な審理を可能にするためには、極力、身柄を解放することなく裁判所、検察庁が主導権を握りつつ物事を進めたいという裁判所、検察庁関係者の強い意思(裁判所、検察庁相互の暗黙の了解)、そういった状況を支える上記のような刑事訴訟法の規定、ではないかと思います。
そこに大きな風穴を開けるには、まず刑事訴訟法の改正を行うしかないというのが私の見方です。

追記:

地裁、高裁ともに裁量保釈を問題としたとしても、そこでは、「罪証隠滅の恐れ」というものをどう見るか、についての判断が大きく影響した、というのが、実務を知る者の常識的な見方でしょうね。地裁は、そこは弱いと見てその他の事情も踏まえて裁量保釈を許可した、しかし、高裁はそこが依然として強いと見て、保釈は裁量逸脱と見た、という可能性が高いでしょう。「裁量」には、ある程度幅があり、高裁は、地裁決定がその幅を逸脱していると見た、ということになれば、かなり大きな判断の食い違いがあった、ということになると思います。この被告人の場合、罪証隠滅の恐れ以外の事情で、保釈却下の方向に働く事情は、報道されている限り、考えにくいと思います(むしろ保釈を認める方向の事情が多そうです)。
「裁量」保釈の問題だから、罪証隠滅の恐れは関係ない、とは到底言えず、高裁の決定書の中でも、罪証隠滅の恐れについて強く指摘されている可能性が極めて高いでしょう。
結局、裁量保釈の問題と言っても、罪証隠滅の恐れの問題が、「裁量」をどう考えるか、という点に読み込まれてしまっている、というのが私の理解です。刑事訴訟法89条4号が変われば、読み込まれ方も、おそらく変わってくるでしょう。