「最高裁 変化の兆し」(5月31日朝日新聞朝刊)

ボツネタでも取り上げられていました。

「藤山判決 最高裁で再逆転が続く」
http://d.hatena.ne.jp/okaguchik/20060531/p9

裁判の結果というものは、証拠に基づくもので、当事者以外が軽々に論評しにくいところはありますが、記事を見る限り、地裁と最高裁が社会の変化、動きに対応しようする一方、一種の「中二階」の高裁が、「反動・抵抗勢力」として、そういった流れに逆行しようとしているのではないか、という印象は受けます。
確かに、最近のインターネット関係の高裁判決の中にも(どれとは言いませんが)、インターネットの特質等が理解できていないのではないか、といったものも見受けられます。また、人事絡みでモノは考えたくありませんが、古株の裁判官が高裁に居着いてしまって動かず、「不動産化」し、時代の流れにも、最高裁や地裁の流れにすらついて行けず、化石化、シーラカンス化してしまう、という恐れも多分にあるでしょう。
裁判員制度について、私は、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050226#1109385219

の通り、高裁が、裁判員制度に敵対することになるのではないか、という危惧を持っていますが、上記のような状況では、単なる杞憂では済まないかもしれません。
高裁の改革、ということも、今後は焦点になってくる可能性もあります。

シーラカンスの撮影に成功 インドネシア沖、2例目」
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=home&NWID=2006053001004700