生原稿流出 物故作家ならどうする?

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060508bk12.htm?from=os1

同協会は、1971年、未公表の書簡などを無断公開することは、「著作者人格権の侵害であり、プライバシーの侵犯になる」との警告の要望書を古書店の組合などに送付。これを受け古書店の組合でも、現存する作家の生原稿、書簡の売買を禁じる通達を回したという。理事会では、「こうした通達が古書店の代替わりで顧みられなくなっている」として、新たな声明を出す方針では一致した。

生原稿や書簡の公表は、著作者の意図やプライバシーを侵しかねず、安易な売買は許されていいことではない。その一方、こうした文書が、活字にならなかった創作過程や作家の素顔が分かる文化的な価値を持つことも確かだ。古書業界が、その保存機能を担っていることに配慮しながらのルール作りが必要ではないだろうか。

いくつかの問題点が、ごちゃごちゃになって論じられているようなので、私自身の整理のためにもちょっと検討しますと、「無断公開」、すなわち著作者人格権(公表権)の侵害と、生原稿等の譲渡は、区別して考えるべきでしょう。譲渡というのは、あくまで特定人から特定人に対する所有権の移転であって、譲渡、即、「公表」とは言えないでしょう。秘密裏に譲渡する、という状況を考えれば(あり得ることです)、理解はそれほど難しくありません。
ただ、書店での譲渡が、「無断公開」へつながる可能性はありますし、特に、生存している人に関するものである場合、書簡のようなものであれば、一般的な人格権(プライバシー権)侵害も生じ得ますから、上記のような通達が、直ちに間違っているとか不当である、とも言えないでしょう。要するに、理屈の問題としてはそうではないか、ということです。
最近、問題となった事例では、生原稿等が、本来の所有者(著作者)の関知しないままに流出して取引される、ということが起きていますが、こういう事例は、端的に、窃盗、あるいは横領といった捉え方をすべきでしょう。
上記の記事が指摘しているように、ルール作りは必要ですが、理論面をきちんと整理した上でのルールであるべきではないかと思いました。