ライブドア事件を振り返る

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/yamazaki/at_ya_06042101.htm

もちろん、粉飾は厳しく取り締まられるべき不正だが、取り締まりの方法については、特に株主への影響を考えた場合に、強制捜査からライブドア社を存亡の瀬戸際に追い込むような今回のやり方が、どの程度適切だったのかについても振り返りが必要なように思う。

別に検察庁の肩を持つわけではありませんが、まず電子メール等の重要証拠を徹底的に収集するため、関係場所に対する網羅的な捜索差押から入り、ライブドア社上層部の被疑者等の間の口裏合わせを防止するため、強制捜査着手後、時間をおかずに身柄の逮捕へと進んだ今回の捜査は、この種の事件の捜査としては、極めてオーソドックスなもので、振り返っても、「不適切だった」という反省は出てこないと思います。
「存亡の瀬戸際に追い込むような今回のやり方」とありますが、東京証券取引所が、自らの判断により上場廃止を決めるようなことを、ライブドア社はしでかしているわけで、東京地検が「追い込んだ」かのように言うのは、いくら何でも東京地検が責任を負うべき筋合いのものではないことについて、責任を問おうとしているもので、適当とは思えません。
結果が出ていないことが多く、現時点で、誰が責任を負うべきか、を断定的、確定的に言うのは困難な面もありますが、我々は、マスコミとか自称有識者などの言辞に惑わされず、真に有責な者は誰なのかを、きちんとわきまえる必要があるでしょう。
検察庁が、ある事件を立件し強制捜査に着手しようとする場合、念頭に置くべきは、犯罪構成要件とそれに見合う証拠(既に収集した証拠とこれから収集すべき証拠)であり、立件とか着手に伴う副次的効果(世間が騒ぐとか会社に影響が出るなど)に対しては、無頓着であるべきではありませんが(避けられる混乱は避けるべきです)、副次的効果からさかのぼって、捜査の方向性、規模などに手心を加えるのは邪道というものです。逆に、構成要件、証拠という枠から検察庁が好き勝手にはみ出し始めれば、正に「検察ファッショ」に陥りかねません。
ライブドア事件に関するいろいろな意見の中で、そういった検察権の限界ということに思いを致さず、「検察庁は追及不足だ」などと、気軽に放言しているものも散見されることは、そういったことを気軽に放言する人の今後だけでなく、今後の各種刑事事件の捜査ということを考えると、憂慮されるものがあります。