大量合格時代への流れ(1)

私が大学(早稲田大学法学部)に入学したのは昭和58年(1983年)ですが、そのころの司法試験合格者は500名(500名弱)程度でした。合格者を増やしてほしいという話は常にありましたが、1000名とか1500名といった、景気の良い話はほとんどなく、「せめて500名は切らないようにしてほしい」といった遠慮がちな(?)話が主流で、司法試験というものは、合格者がその程度しかいない、極めて難しい、一種の「現代の科挙」で、受験する人もごく特殊な人々、という色彩がかなりあったという印象があります。
このような司法試験が、最も難しかったのは、おそらく昭和50年代だったのではないか(修習期で言うと30期台ですね)と私は思っています。その頃の司法試験は、問題も非常に難しく、例えば、憲法では、そのころはまだ教科書で触れているものがほとんどなかった憲法訴訟に関する問題が出題されて受験者が皆、頭の中が真っ白になってしまった、といったこともあったと聞いています。
こういった状況の中で、合格者の平均年齢もどんどん高くなり、非常な危機感を抱いた組織がありました。それが法務・検察だったというのが私の認識・理解です。

(続く)