JR脱線「9時18分」から1年 あの日と同じ電車、事故現場

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060425-00000024-san-soci

一人娘を事故で亡くされた方を取り上げた記事ですが、

守さんはいつも、夫婦げんかを仲裁した五歳の康子さんを思い出す。
「康子を連れて田舎へ帰れ」。守さんが声を荒らげると、おかっぱ頭の康子さんがトントンと廊下を走り、玄関を通せんぼした。涙を浮かべて守さんをにらみ、「お母さん帰ったらあかん。やっちゃんは絶対に帰らへん」。気迫に押され、仲直りした。
「天国で心配するからこれから夫婦げんかはできひんなぁ」
尼崎駅の改札を出た守さんは、JRの送迎バスに乗り、ミツルさんが待つ追悼慰霊式の会場へ向かった。

は、特に身につまされました。
公共交通機関における安全の重要性ということを、あらゆる関係者が、改めて強く認識する必要性を痛感します。