「政府は,法曹を徒弟制度にしたいのか?」

http://blog.goo.ne.jp/9605-sak/e/242b7b7a0104062c8bbb498cfa5ec7ba

ここでも引用されている

http://www.kisei-kaikaku.go.jp/minutes/wg/2005/1109_2/summary051109_2_01.pdf

を、冗長な議論がだらだらと続くのを我慢しながら一通り読んでみましたが、ここでの議論の最大の問題は、法曹の量を、質を確保しながら増やす必要があるところを、「質」の問題が軽視され、量を増やせば競争が活発になって質も確保されるだろうと、安易に(牧歌的に)考えられていることではないかと思います。
青果店で売っているバナナや蜜柑であれば、競合する業者が増えればより良い物がより安価に提供される、ということで問題ないと思いますが、法曹問題を同列には論じられないでしょう。
私の経験に照らしても、法曹が、自分自身の判断と責任で働けるようになるまでは、実務に就いてから10年程度はかかりますし、それも、それなりの素質がある者が継続的に適切な教育を受ければ、ということが大前提になるでしょう。
バナナや蜜柑であれば、フィリピンとか愛媛県などから持ってきて、新鮮な状態で並べて売ればよい(それでも衛生問題などいろいろとクリアすべき点は生じます)わけですが、法曹の場合、それなりに良質の法曹を継続的に確保するためには、適切な選抜、適切な教育(継続的な)が不可欠であり、競争が激化すれば不良な人々が淘汰されて(そういう側面があることは否定しませんが)皆がハッピーになれる、という、単純な話では到底ないと思います。現在、法科大学院の教育が、上記のような意味での「適切な教育」として耐えられるものか、ということに、重大な疑問が呈されており(昨年行われたプレテストの結果を見れば疑問を抱くな、というほうが無理でしょう)、そういう状況の中で、法曹の数を増やせ、増やせ、と騒いでも、良識のある人々の共感、賛成を得ることは不可能だと思います。
私の持論は、法曹の数を増やすことには反対しないが、不良な法曹の数が増えれば、一生に一度しか法曹に関わらない国民も多数存在する中で、甚大な被害が全国規模で頻発することにもなりかねず、質もきちんと確保する、ということが、国としての責務である、ということです。質の確保が、単なる競争の活発化の結果として得られる、といった、安易な議論に引きずられない、ということも、そういった責務の中に含まれるでしょう。
上記の議論の中で、「弁護士会ごときに立法、制度立案権があるはずはない。」などと放言している委員がいますが、確かにそれはその通りだとしても(「弁護士会ごとき」といったことをこういう場で口走る見識のなさはともかく)、法科大学院における教育にしても、司法修習段階及びその後の教育にしても、弁護士会を含む法曹三者が、ボランティア的に協力しているからこそ成り立っているということを見過ごすべきではありませんし、教育という視点を置き去りにして、安易に数だけ増やせば、さながら映画「ジェラシックパーク」のように、弱肉強食、自然淘汰法曹界の中で、多数の不良法曹が善良な国民を食い物にしながら自滅して行く(自滅する前に多数の被害者が出る)という、悲惨なことが本当に起きかねない、という真っ当な認識を持つべきだと思います。