http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/01/26/20060126000004.html
検察の関係者は、「悪質な書き込みを書いた人たちを追跡するのにチョソンドットコムの実名制が大いに役立った」とし、「実名制を採択したインターネット新聞にも、このように問題の書き込みが多いのに、実名制ではないインターネット空間ではさらに深刻だろう」と述べた。
建国(コングク)大学の黄勇碩(ファン・ヨンソク)教授は、「黄教授研究グループの幹細胞疑惑を突き止めた生命工学徒らによる匿名掲示板のBRICが代表的なケース」と述べた。教授社会のように序列の秩序が厳しい社会で、弱者の立場にいる研究員たちが萎縮することなく、真実を追求することができたのは、BRICサイトが匿名掲示板だったためという説明だ。
匿名性に関する、韓国での議論の状況が垣間見えて、興味深いものがあります。
「有識者」といっても、本当に「有識」かどうかはわかりませんし(自称「有識者」も多い)、そういう人だから良質な書き込みしかしない、というのも、一種の固定観念でしかないでしょう。
ただ、他人に対する誹謗・中傷が許されないのは当然としても、社会的地位等から、実名を出しては言えないことを、インターネット上でいろいろな束縛を受けずに発言している人、というのは、日本でも多いのではないかと思います。誹謗・中傷の意図はなくても、人間ですから、つい言い過ぎてしまう、という可能性はあり、匿名性が否定されてしまうことにより、表現行為に対する強度の萎縮的効果(誹謗・中傷の疑いが生じただけでも容易に身元が判明し社会的地位等を喪失しかねない、との強い不安による)が生じてしまう恐れはあるのではないかと思います。
その辺の判断ができない人、できない場合は、表現を控えろ、ということになれば(1つの考え方ではありますが)、自由、活発な表現というものが難しくなってしまう恐れもあるでしょう。
誹謗・中傷もないが自由もない、という社会を、日本国民の多くが望んでいるとは考えられません。