強硬策寸前、作戦を中止 赤軍事件でマレーシア内相

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051229-00000023-kyodo-int

日本政府は犯人の要求を受け入れ、服役、拘置中の活動家5人を超法規的措置で釈放。全員が犯人とともにリビアに出国した。しかし、当時の英当局者は、マレーシアの内相が「(強硬策の)ボタンを押していれば」事件は解決した、と分析していた。

1975年のクアラルンプール事件ですね。強攻策ををとらなかったことについて、日本政府の意向が働いたのか、働いたとしてどこまで影響したかに興味を感じます。
ここで強攻策が成功していれば、その後のダッカ事件(1977年、日本政府は要求に応じて拘束中の活動家を釈放し身代金を支払う)も、なかったか、別の形で発生していた可能性が高いでしょう。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051229k0000e030011000c.html