凍結精子による体外受精、子の認知認めず 東京地裁

http://www.asahi.com/national/update/0929/TKY200509290265.html

「生存している男女の性行為による自然な生殖との乖離(かいり)が著しく、死後生殖を受け入れる社会的な認識ができているとまで認められない」という事情も重視した。

奥田裁判長は「女児が健やかに成長していくために国や社会として可能な限りの配慮をしていく必要がある。急速に進展する生殖補助医療について早急な法整備が求められる」と付け加えた。

この問題は、いろいろな要素を含み単純には割り切れないと思いますが、重視すべき視点の一つに、個人の自己決定権をどこまで尊重すべきか、ということがあると思います。
憲法13条が保障する幸福追求権の一環として、自己決定権というものが保障されていると考えられますが、いかなる生殖行為に及び子をもうけるか、についても、自己決定権の一環として捉えられるべき性質を持っているでしょう。
親子関係が明確である以上、どのような生殖行為に及びどのようにして子をもうけたか、について、この判決のように、「社会的な認識」といったことで自己決定権を制約してよいのか、という疑問は、当然、生じると思います。
上記のように、裁判所が「早急な法整備」を求めたのも、そのような点を考慮しているように感じます。
その意味で、

松山地裁が03年、原告の女性の訴えを退けたのに対し、高松高裁が04年、女性の訴えを認める逆転判決を言い渡した。この訴訟は現在上告中で、最高裁の判断が注目されている。

とある最高裁判決が、今後の自己決定権に関する判例の動向を予想する上でも、非常に注目されるところであると思います。

「『希望を保存』『タブー』凍結精子で誕生 父死後認知せず」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20050930/mng_____sya_____010.shtml