http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20050907/mng_____sya_____009.shtml
あくまで司法の場での判断であり、これで真相が確定されたと言う自信は、私にはありません。ただ、この事件は、少年法改正論議にも大きな影響を与えており、歴史に残る大事件、難事件であったことは間違いないと思います。
真相はともかく、男子中学生の尊い生命が失われたことは取り返しがつかないことであり、事件終結にあたり、亡くなった方のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。
「山形マット死事件:墓前に「待たせたね」 長かった12年」
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20050907k0000m040157000c.html
追記:
この報道に興味を持たれている方が多いようなので、若干の感想を述べておきたい。
この事件もそうであるが、過去に、事実認定が大きく争われた少年事件には、共犯事件が多いという特徴がある。一般的に、共犯事件で、複数の共犯被疑者が並行して取調べを受けていると、先行して誰かが自白し、その自白に基づいて他の共犯者(自白していない)が追及され、徐々に他の共犯者も自白へと至って行く場合が多い。先行した自白の質が良く、真相を突いていれば、追及も的を射たものとなり、追随する自白とも併せて、良質の自白になる。しかし、先行する自白の質が悪く、事実の欠落や虚偽の混入などがあると、他の共犯者に対する追及も粗いものとなり、当初の否認が強固であればあるほど、得られる自白も中途半端なものになりがちである(捜査実務で「半割れ」などと言われることもある)。
特に、少年の場合、大人では考えつかないような部分で嘘をついたり隠したり、といったことをする場合があり(自分が少年の時のことを思い出してみるとそういう嘘をついたことがあるという人も多いはずである)、捜査機関がそういった落とし穴に十分思いを致さないと、とんでもない方向に捜査が迷走する危険性が大きい。しかし、身柄拘束期間には限界があり(一つの事実につき勾留は最長で20日間)、各共犯者の供述が変遷したりすると、事件をどこかで無理にでもまとめざるを得ないということがどうしても起きてしまいがちである。
過去に問題となった少年事件では、そういった「少年」共犯事件における問題点(自白獲得の在り方、捜査機関の配慮不足など)が積み重なって、真相解明が困難になってしまったという事情がある場合が多いのではないかと私は考えている。
上記のような共犯事件の怖さは、捜査に常につきまとう問題なので(一旦、起きてしまうと、是正が極めて困難であるだけに怖い)、特に、捜査に習熟していない捜査官の方々は、常に念頭に置いて慎重に捜査にあたってほしいと切に思う。