虚偽自白(続)

司法修習生の事件に関連して、「捜査後、初期の自白は信用できるのではないか。」との指摘があったので、若干コメントしておきたい。
確かに、自白の信用性に関する判断基準として、そのような指摘が行われることが多いし、私も、一般的な見方としては、その通りであると思う。
ただ、そういった見方が、あらゆる事件のあらゆる場面で適用できるかというと、あてはまらない場合もあると考えている。
今回の事件について、ではなく、あくまで一般的な話であるが、それなりに社会的地位とか、体面とかがある人が、突然、身に覚えのない事件で取り調べを受けたとする。身に覚えはないが、認めれば、逮捕はされない、勤務先や家族にもわからない、処分も軽く済む、自宅に帰れる・・・といった、魅力的な(その場に置かれたその人にとっては)条件を示されれば、心も動くだろうし、身に覚えがなくても、問題となっている犯罪自体がそれほど重いものでなければ、形だけ認めてその場を切り抜けたい、という、強い誘惑が働く可能性は十分あると思う。そうなると、何日も取り調べを受けておらず、数時間程度の比較的短い取り調べしか受けていなくても、「虚偽自白」に至る可能性は十分あると私は考えている。
自白の信用性に関する判断基準に関する、充実した著作には、裁判官(元裁判官を含む)によるものが多いし、大いに参考になるので、私も活用させてもらっている。ただ、読んでいて限界を感じるのは、そういった著者の方々は、法廷で、一種の「上澄み」状態の被告人にしか接していない(本心からかどうかはともかく、頭を下げ反省の弁を述べていることが多い)ということである。どういう処分を受けるかわからないという暗中模索、疑心暗鬼の状態下での、被疑者の微妙な心理状態というものを、自ら接して体験していないと、どうしても、過去の判例の分析、理論的な検討、といった、机上の作業によって判断基準を構築することになる。そういった作業の中で、「捜査初期の自白は信用できる」とするのは、間違ってはいないが、上記のような体験がないまま、事件の特性に思いを致すことなく機械的にあてはめてしまうと、結果として、虚偽自白を見破れないという取り返しのつかないことになりかねない。
そのようなことにならないためにも、裁判官が一定期間弁護士を経験する、という、今後、行われる試みには期待しているが、都内の一等地にあって、エリートが集まり、顧客も優良企業ばかり、といった「一流」法律事務所に入っても、無駄とはいわないが、その後の長い裁判官生活で役立つ経験は、あまり積めないのではないかと思う。事務所にいろいろな人が出入りして、どちらかというと裕福ではない人が多くて、良い人もいれば悪い人もいて、どちらかというと世の中の下積み層に関する話がいろいろと聞けて、当番弁護士もやれば、国選弁護もやり、法律扶助の事件もやって、というほうが、裁判官の他職経験としては役立つと思う。
と言っても、エリート意識が強い人が多いので、どうしても、上記のような「一流」法律事務所に人が集まるということになるとは思うが。