私的と公的の間

小倉弁護士

http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/57bc4f290ff83de5297cbef66a9a8307

と述べられている事件については、このブログでも触れたし、その後起きた、共産党関係の同種事件についても言及した。
こういった事件をどう見るか、については、具体的な証拠関係も絡むので、なかなか難しい面があるが、少し感じていることを述べておきたい。
確かに、いかに権利の行使といっても、他人の私的領域にまで入り込むことは許されない。ただ、完全な「私的領域」と、公的な部分との間に、私的とも公的ともどちらとも捉えられる、グレーな部分があって、共同住宅の敷地などは、そういった性質が強いのではないかと思う。
私が住むマンションにも、「チラシ、ビラ等は一切お断り」といった表示があるが、いろいろな人が敷地内の共用部分にまで入ってきて、郵便受けにいろいろなチラシ、ビラ等を入れて行く。中には、寿司の出前用メニューのように、私が重宝しているものもあるし、その一方で、迷惑な読売新聞の拡張員のような者もいる。上記のような管理者が出した掲示についても、「一切」とあっても、寿司の出前用メニューまでお断りで警察に突き出すよ、という趣旨までは、多分ないだろう。そこには、濃淡とか強弱、といったものがあるはずである。実務家になると強く感じるが、実際の「違法」と「適法」の間の境界は、単純な一直線ではなく、リアス式海岸のような複雑な形状になっているものである。
また、そういったグレーな部分というものは、自分の商品を購入してほしい、自分の意見を見聞きしてほしい、などといった、いろいろな「接点」を求める人にとっては、貴重な空間であり、そういったグレーな部分からも一切閉め出されてしまうようでは、人々は貴重な接点を失ってしまうことになる。東京地裁八王子支部で無罪になった事件についても、弁護人や裁判所は、そういった点も考慮したのではないかと私は感じている。
このようなグレーな部分が、種々の事情から「私的領域」としての性質を鮮明化、明確化するに至ったにもかかわらず、無理にそういった領域に入り込むといった性質の行為は、住居(建造物)侵入として、可罰的違法性を帯びるだろう。しかし、グレーがグレーなままの場合に、そういった領域に様々な接点を求めて入って行った行為を、特に、その中のごく一部を恣意的に取り上げて、即、刑事罰という極めて厳しい制裁の対象にして良いのか、そういったことが起きる社会が、本当に我々にとってあるべき社会なのか、といったことが、今、問題になっているのではないかと強く感じる。
無罪になった事件についても、上記のような、「私的領域」としての性質を鮮明化、明確化するに至ったにもかかわらず、無理にそういった領域に入り込む」といった事情が(実際にあるとした場合であるが)きちんと立証されていれば、有罪になったかもしれない。今後、控訴審で、検察官は、「管理者の意思に反する立ち入り行為は、それ自体が違法性が高く可罰的違法性を帯びる」といった、形式面からの立論と、上記のような意味での実質論からの立論の、両面から攻めて行くだろうと私は予想している。
確かに、そういったグレーな部分であっても、「私的領域」として尊重してほしいという住民等がいるのはよくわかるし、そういった人々の権利をないがしろにすべきではない。しかし、物事を形式的、画一的に捉えすぎて、私的と公的の間にある、微妙な空間へ入り込む行為を、直ちに刑事罰の対象にすることには慎重の上にも慎重であるべきだと思うのである。刑法の謙抑性、ということの重要性を再認識すべきだろう。
捜査機関は、私がここで述べているようなことについて、日頃は十分配慮し慎重に対応していると私は見ているが、特定の事件、特定の人々が絡むと、突然、出さなくても良い「やる気」を思い切り出すことがある、と感じているのは、おそらく、私だけではないと思う。