「著作権法改正は“大技”ではなく“中技”で着々と」文化庁吉川氏

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2004/11/26/5555.html

このあたりの議論は、小倉先生にお任せして、私はROMということにしようと思っているのですが、この記事を読んでいると・・・

知財立国という観点では、先進諸国と比較して著作権保護期間などで不利な面がある国内権利者の権利保護が大事だとする一方で、コンテンツの利用促進も考慮しなければならないという。しかしながら、米国のように、法律で明記するのではなく、判例の積み重ねで規定された私的利用の考え方“フェアユース”には批判的で、「何がフェアユースか明確でないため現場が混乱する。著作権法フェアユースガイドラインを規定するということもありえないし、裁判をやってみないとわからないという状況には耐えられないだろう」と問題を分析した。

「裁判をやってみないとわからないという状況には耐えられない」と言うのであれば、プロバイダ責任制限法は、裁判をやってみないとわからないことが盛りだくさんだったわけですが、裁判例の集積により、徐々に、「裁判をやってみなくてもある程度わかる」状態にはなりつつあります。
「国内権利者の権利保護が大事だとする一方で、コンテンツの利用促進も考慮しなければならない」と言うのであれば、調整する枠組みが必要ですが、枠組みの提示もなく、フェアユースという考え方を批判しているだけで、これでは何の展望も出てこないでしょう。
どうも、この人の言っている「現場」と言うのは、権利者の目から見た「現場」、「耐えられない」というのは権利者が「耐えられない」であって、利用者などその他の関係者、という視点が欠落しているという印象を受けます。
柿の木になっている柿は、毎年、取って食べていないと、甘くておいしい柿がならなくなるし、持ち主から指定された柿の取り方があまりにも煩雑すぎれば、誰も近寄って取ろうとしなくなって、なっている柿も腐って行くだけ、おいしい柿がならなくなるだけじゃないかと思うのですが。