タテマエと本音

例えば、東京地裁でも、公判立会検事が、よく裁判官室へ入って(弁護士は、書記官室脇の小汚い部屋にしか入れてくれませんが)、この事件の証拠関係は・・・とか、裁判官から、こういう立証をしたら・・・とか、いろいろ話しています。ここでの話は、「本音」の話です。
裁判官室で、あれこれ検討しながら、「この事件は証拠がちょっとねー」などと裁判官同士で話をすることもあるでしょう。これも「本音」の話です。
また、裁判官が、ある無罪になりそうな事件を担当しながら、「この間、無罪を出したばかりだし、また無罪を出して、無罪判事とか何とか言われたくないなー、そういうことやってると、変な支部とかに飛ばされるしなー」などと考えた場合の、この考え方も「本音」でしょう。
「落合弁護士は、ヤメ検なのに、ブログで裁判所は捜査機関ベッタリとか書いて、何考えてるんだろうねー。馬鹿だねー」などと、検事同士で悪口を言い合う場合の、この悪口も「本音」ですね。
これに対して、「裁判所は検察官と弁護士の、どちらに対しても分け隔てなく対応しています」、「裁判官は、個々の事件を独立して判断しています」、「裁判官は、検察官や自分の出世などに影響されるようなことはありません」というのは「タテマエ」です。
霞ヶ関で私に偶然会った検事が、私に、心の中では「この馬鹿が」と思いながら、表面上は笑顔を見せつつ、「ブログを見て、参考にさせてもらっています」などと口にした場合の、この言葉は「タテマエ」です(誰にもそんなことを言われたことはありませんし、期待もしていませんが)。
世の中、タテマエと本音があまり食い違っていない人もいますが、そういう人はどちらかというと少数で、食い違っている人、うまく使い分けている人のほうが多数でしょう(時々、使い分けに失敗して自滅する人もいますが)。
このブログで、タテマエ論を展開しても何の意味もないので、差し支えない範囲内で、本音ベースで書いていますが、タテマエ論を期待されている方(社会正義を標榜する弁護士が犯罪を犯すはずがない、とか、そういう議論)は、おそらく、ご期待には沿えないと思いますので、予めご承知ください。