コストとサービス

例えば、1000万円のベンツと、100万円の国産車があった場合、安全性について、100万円の国産車のほうがベンツの10分1でいいとか、国産車は安いんだから時々タイヤがはずれて歩行者にあたってもいいとか、そういった議論をする人はいません。
やはり、自動車としての一定以上の安全性は、上記のようなベンツであっても国産車であっても、同様に求められるでしょう。
また、例えば、1個1000円の饅頭と、1個100円の饅頭があった場合、100円の饅頭は、多少腐っていてもいいとか、カビがはえてもかまわない、という人もいないでしょう。食料品として一定以上の衛生度、安全性は求められるはずです。
もちろん、1000万円のベンツのほうが、100万円の国産車より乗り心地が良かったりオプションが充実していたりすることはあるでしょう。また、100円の饅頭より1000円の饅頭のほうがおいしいかもしれません。
しかし、世の中に出す物、出すサービスについて、利用者が一定の期待をしており、それが、上記のような安全性といったものと共通するものである場合(乗り心地とかオプション、おいしさ、といったところはそれなりの対価が必要でしょう)、「金がないからこの程度で仕方ないですよ」とは言えないのではないかと、素朴に思いますし、そういったところについて、「金がないからこの程度で仕方ないですよ」としか言えないサービス等の提供者は、作ったトラックのタイヤがはずれて歩行者に当たり死亡させるなどといった重大事故を引き起こした自動車メーカーのように、人々から見はなされるだけのような気がします。