『敗訴者負担制度』に落とし穴 消費者泣き寝入り招く?

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20041031/mng_____tokuho__000.shtml

実は、米国では消費者契約、労働契約、フランチャイズ契約などで、契約上の「敗訴者負担の条項」が普及している。しかし、同時に、弁護士費用の負担が重いと感じる経済的弱者や、訴訟での勝訴見込みをつけにくい一般市民の裁判利用を妨げないよう救済も。
 米国の事情について、弁護士の牛島聡美氏は十三日、衆院議員会館内での集会で「市民が企業や国を相手にしたり、行政を訴えた裁判で、弱者が勝訴した場合に限り、強者が弱者の弁護士費用を負担するという『片面的な敗訴者負担』が法的に定められている。これに反した弊害のある敗訴者負担条項を判例で無効として弱者を守っている」と説明した。

こういう議論を見ていて感じるのは、日本が、外国の法制度を受容しようとする際、自分たちに都合の良いところを「つまみ食い」して、結局、外国の法制度のパロディ化することが多いのではないかということです。
例えば、刑事訴訟法の場合、英米法の伝聞法則(反対尋問を経ない供述証拠に証拠能力を認めないとするもの)を取り入れたものの、例外を広範囲に認めたため、供述調書のウエイトが極めて重くなり、公判が、供述調書のやり取りの場と化し、公判立会検事の重要な仕事は、法廷へ証拠となる記録を運搬して出してくること、という、笑うに笑えない状況になりました。捜査段階で、被疑者を徹底的に締め上げて供述調書を作成し、それで100パーセントに近い有罪率を誇っていた裁判所・検察庁が、裁判員制度導入で、多少慌てているのは、滑稽と言えば滑稽です。刑事訴訟法が本来予定している裁判が行われていれば、裁判員制度が導入されても、何も慌てる必要はなかったでしょう。このことは、刑事裁判への取り組みという意味では、弁護士へもあてはまります。公判と公判との間があいた、「歯科治療」のような期日指定を当然とする弁護士の感覚も、刑事訴訟法(及び同規則)が予定する集中審理とは、大きくずれています。
また、現在のロースクールも、アメリカのロースクールの影響を大きく受けていると思いますが、判例法の国であるアメリカで、大量の判例を徹底的に学習させるという形式で行っている講義を、成文法の国である我が国のロースクールにそのまま持ち込むことで、成文法に関する知識や解釈が十分ではない学生が、成文法を前提にして展開されている我が国の判例を、わけもわからず字面を追うような形で、「寝食も惜しんで」(というか寝食の時間も奪われて)ひたすら読む(しかも、残るものはほとんどない)という、珍妙なことが起きています。これも一種のパロディでしょう。
明治後の日本の法制度は、すべて外国の「物まね」から始まっているので、仕方がないと言えば仕方がないことかもしれませんが、考え方を改めて行かないと、こういった滑稽な状況がいつまでも続くことになりかねないと思います。