教誨師

教誨師

教誨師

戦後、長く東京拘置所教誨師を務め、最近、亡くなった僧侶からの聞き取りを元に、知られざる死刑囚の執行を待つ生活や、それに対する教誨の実態を赤裸々に紹介したもので、従来、こういった話は、断片的に、あるいは抽象的な形でしか語られなかった中、ここまで具体的に紹介されていることに、読みながら驚くとともに、大変参考になる内容でした。
僧侶が、元々、広島の出身で、原爆で九死に一生を得た体験も持ち、描かれている生家の寺の風景は、広島出身の私にも親近感を感じるものがあり、また、原爆の体験が教誨活動を行うにあたり大きく影響していたことも、共感するものがありました。
「死」を前にした死刑囚の様々な姿、それにできるだけ寄り添おうとする教誨師(死刑制度と一体と化しているといった批判も受けつつ)の姿には、死刑制度、人の生死というものを考えさせるものがあり、私も、人生の折り返し点を過ぎて、死へと確実に向かいつつありますから、重いものを感じつつ読み進めました。
死刑制度に賛成するにしても反対するにしても、死刑の実態や死刑囚がどのようにして刑に服するのかといったことは、よく知っておく必要があると思います。その意味で、本書は、貴重な情報を提供しているもので、興味ある方には是非一読をお勧めします。
いろいろと本を読んでいると、役だったもの、今ひとつだったもの、いろいろなものに巡り会いますが、この本は、読んでおいて良かったとしみじみ思えるものでした。

2014年05月01日のツイート

Windowsタブレットはタッチでは使いづらい(前編)(後編)

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20140416/1056679/?P=1
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20140422/1056864/?n_cid=nbptrn_leaf_back

8型のWindowsタブレットが欲しい人は、マウスとキーボードも利用するべきだ。マウスとキーボードがあれば、画面の狭いモバイルノート感覚で作業できるだろう。少なくとも、Microsoft OfficeがモダンUIに完全対応するまでは、タッチ操作だけで使い切るのは難しい。
おすすめは、コンパクトなBluetoothマウスと折り畳みのキーボード。今回はリュウドの折り畳みキーボードを使って試用したが、それなりに実用的だった。やはり、デスクトップアプリは、タッチ操作よりマウス、キーボードでの操作に向いているのだ。

私は、今年の3月初めから、Windows8.1タブレットのThinkPad8を使っていて、iPadminiRetinaとともに持ち歩いているのですが、使う頻度はiPadminiのほうが圧倒的に多いですね。上記の記事では、マウスとキーボードの併用が勧められていますが、私も、小型のそれら(ワイヤレス)を持ち歩いていて、出先で使うことがあります。先月、ポーランドに行った際は、ノートPCは持参せず、ブログを書いたりといった作業はThinkPad8で、キーボードやマウスを使ってやっていました。小さくてもWindows機ですから、使用環境はデスクトップやノートと変わらないのですが、画面が小さく、キーボードもコンパクトで、細々とした感じになるので、長時間の、あるいは細かい作業はちょっと無理だなと感じました。続けていろいろな作業をしたり、といった場合は、MacBookAirとか、その種のノートPCを持参して使った方が無難でしょう。
ポーランドで思ったのは、ノートPCなしで、iPadminiだけでも、ほぼやりたいことはカバーできるものの、Windows環境で仕事をしている関係で、小さくてもその環境があるのは安心感がある(MSオフィスも使えて)ということでした。タブレットとして、iPadやiPadminiだけに依存しているよりも、Windowsタブレットがあったほうが、予備、スペアにもなって、その点でも安心感はあります。
iOSで慣れていると、Windows8.1タブレットは、記事でも指摘されているように、やや使いづらさを感じるのは事実で、そこは今後の改善に期待するしかないでしょう。

可視化、取調官判断で除外 法務省試案 全過程義務付け

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140430/trl14043021280009-n1.htm

取り調べ全過程の録音・録画(可視化)を義務付ける一方、取調官の判断で除外できるなど幅広い例外を規定。可視化の対象は「裁判員制度対象事件」(A案)と「A案に加え全事件での検察取り調べ」(B案)を併記した。
通信傍受の対象事件は大幅に拡大され、殺人や放火なども追加。法務省は夏までに議論を取りまとめて来年の通常国会に関連法案を提出したい考えだ。

以前から、本ブログで繰り返し述べていますが、私は、日本の捜査を、従来のような、綿密な取調べやそれに基づく微細に渡る重厚な供述調書に依存する、といったものから、取調べ自体は全面的に可視化しつつ、刑事免責や司法取引、通信傍受や様々な客観証拠の幅広い活用といったことによる立証(それには公判段階以降の大幅な証拠開示も伴う必要があります)へと大きく転換、刷新しなければならないと考えていて、現行の、取調べの全面可視化か否かに偏した議論の在り方には大いに不満を持っています。そのような方向へ進むにあたっては、従来のような令状裁判所の在り方(捜査機関の上に安易に乗っかって令状を垂れ流す)も大きく改められなければならないと考えてもいます。そのような大改革を行わないと、今後、ますます高度化、巧妙化する犯罪(特に組織犯罪)に、捜査は対応できなくなり日本の治安は悪化へと向かう可能性が高いでしょう。
当面どうするかばかりでなく、国家百年の計、といった観点でも、刑事司法の在り方を考えてほしいと思いますが、なかなか難しいでしょうね。