給与なく、副業禁止、就職不安 あえぐ司法修習生

http://news.goo.ne.jp/article/kobe/nation/kobe-20140125008.html

修習生には1年の実務研修が課せられ、この間はアルバイトなどの副業は禁止されている。以前は給料が支払われていたが、2011年11月からは、最高裁判所が生活資金を貸し付ける貸与制(基本額23万円)に切り替わった。

日本弁護士連合会が2012年に実施したアンケートによると修習生の85%が貸与を受けている。貸与制導入前後を比べると、導入後の修習生の食費は約1万2千円少ない平均3万5800円。食費を削って学ぶ状況が浮き彫りになった。

法曹養成の在り方には、大きく分けて2つのタイプがあり、1つは以前の司法修習制度のような(元々はドイツの制度が取り入れられたものでしたが)、司法試験合格までは基本的に各自が勉強し司法試験合格後は比較的手厚い司法修習制度を経て法曹になるタイプ、もう1つは米国のように(現行の日本の制度もそれを大きく取り入れていますが)法科大学院のような専門の高等教育機関で法曹教育を施し司法試験合格後はすぐに法曹としてスタートする(必要な教育は引き続き各自で受けますが)タイプになると思います。後者では(米国でもそうですが)、法曹になるまでの「自己責任」「自腹」という性格が強く、法曹を大量に養成することを前提に、そのために作られている側面が強い制度であることもあって、その過程でつまずく人々も多く出ることが必至になってきます(正に自己責任ですが)。
日本は、後者のタイプへと転換しつつも、従来の司法修習制度を残存させているため(かつては2年間であったものが現在は1年)、中途半端さが強くなり、また、修習の間の経済的負担が重いという問題が生じています。
現状では、司法修習終了後に、かつてのように、弁護士がどこかの事務所には一旦入って、いわゆる「イソ弁」(居候弁護士)として、給与をもらいながら仕事を覚え必要な技能が伝承されるということが難しくなっていて、訴訟以外の業務もなかなか伸びず(そこが大きく開けて存在しているはずだ、という議論が実際には幻想でしかなかったことが今や明らかになって)、しかも訴訟自体も統計を見ると件数が減少してきていて、法曹界が夢や希望の乏しい、仕事が増えないのに人だけがどんどん増える、構造不況業種になりつつあります。
この深刻な事態を、小手先や目先の話ではなく、抜本的に改革する議論が徹底して行われないと、悪貨が良貨を駆逐する状態が強まり、法曹界だけでなく法曹サービスを利用する国民にも甚大、深刻な影響が出てきてしまうでしょう。

2014年01月25日のツイート

PC遠隔事件、検察側証拠に全面同意へ 起訴内容は否認

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140126-00000011-asahi-soci

公判には、検察側から600点以上の証拠提出が予定されている。弁護団は一部の証拠を不同意とする予定だったが、それによって80人以上の証人が必要になり、1年超の長期裁判になることが懸念されていた。
一方で弁護側から約30人の証人を申請し、ポイントを絞って争うという。証人の数が減り、公判の期間が短縮される見通しだ。

検察官が申請している書証に代わる証人が主尋問では書証通りの証言をすると見込まれるような場合に、それらの元になる書証に同意しておいて、弁護人申請の証人として主尋問(実質的には反対尋問)を行う、という手法は、時々採られることがあります。検察官立証が早期に終了することで、なかなか保釈が出ていない場合にはそれだけ罪証隠滅の余地が低下したということで保釈が出やすくなるというメリットも出てきます。弁護人としては、まだ保釈になっていない身柄の問題も含め総合的に検討して、こういった戦法に依ることにしたのでしょう。保釈が認められれば、被告人との打ち合わせもしやすくなり、訴訟準備もしやすくなるという狙いもありそうです。
これまで明らかにされてこなかった検察官立証の全貌が、初公判を機に明らかになることを、とりあえず私としては注目しています。

「日本と中国は開戦前夜なのか」 安倍首相発言に欧米メディア衝撃

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140124-00000005-jct-soci&p=1
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140124-00000005-jct-soci&p=2

「衝突や摩擦が思いがけず、偶発的に起きるかもしれない」
19世紀末ごろの英独関係は悪いものではなかったが、20世紀初頭にかけて両国海軍の軍拡競争が激しさを増していく。その後ドイツが外国への影響力を強めるため鉄道の敷設に乗り出すと、英仏露がこれに強く反発。最終的にはドイツとオーストリア、イタリアによる「3国同盟」と、英仏露の「3国協商」を軸とした対立に発展し、最悪の事態へと進んでいった。

外国メディアへの首相発言
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date2&k=2014012300841

によると、首相の説明は、

尖閣諸島は1895年に日本の領土となった。日中両国は互いに最大の貿易相手国であり、日本企業の進出により中国も雇用を創出してきた、切っても切れない関係だ。従って、一つの課題ゆえに門戸を閉ざしてはならず、戦略的互恵関係の原点に戻るべきだ。条件を付けずに首脳会談を行うべきであり、首脳会談を重ねることで両国関係の発展の知恵が生み出されると思う。
(日中が軍事衝突する可能性について質問され)ちなみに、今年は第1次世界大戦100年を迎える年だ。当時、英独関係は大きな経済関係にあったにもかかわらず、第1次世界大戦に至ったという歴史的経緯があった。ご質問のようなことが起きることは日中双方のみならず、世界にとって大きな損失になる。このようなことにならないようにしなくてはならない。中国の経済発展に伴い、日中の経済関係が拡大している中で、日中間の問題があるときには相互のコミュニケーションを緊密にすることが必要だ。

とのことであった、ということです。赤字の部分(わかりやすくするため私が赤字にしましたが)だけではなく、前後を読むと、首相の意図がどこにあるかは政府が説明している通りでしょう。ただ、なぜ、ここで第1次世界大戦や「大きな経済関係にあったにもかかわらず第1次世界大戦に至った」英独、というものを唐突に持ち出す必要があったのか、まったくよくわかりませんし、聞いている側としては、その前に出てくる、経済上で密接な関係にある日中関係と当時の英独関係を、話の流れの中、頭の中で結びつけて考えてしまうのも無理からぬことだった、という印象を受けます。こういうミスリードも失言の中に含めるのであれば、これは一種の失言になると思います。
さらに、首相は、軍事衝突について、「このようなことにならないようにしなくてはならない。」で済ませるのではなく、「私はそのようなことを起こさせない。」と、断固として断言しなければならなかった、と私は思います。日米開戦も、当時の東条首相が、さらには昭和天皇が、開戦を断固として許さなければ開戦には至っていなかったでしょう。軍事衝突、戦争を避けようとしつつも避けられなくなったらやむを得ないと考える、少なくともそのような印象を与えることは、非常に危険なものをはらむものだと思います。
かつての、戦争への深い反省に立ち、近隣諸国との良好な関係に留意しつつ、不戦を誓い、日本国憲法を遵守し、専守防衛を堅持する、軽武装、経済重視の日本という印象があれば、おそらく、こういう騒動は起きなかったのではないかと思いますが、積極的平和主義、集団的自衛権肯定への転換を図る、改憲への強い意欲、といった、「日本はもはやかつての日本ではない」「なくなろうとしている」という見方が、首相の唐突な(不用意な、とも言うべきでしょう)第1次世界大戦の英独、という話で、聞き手の一部をあらぬ方向へと暴走させてしまった、ということではないかと思います。
確かに、誤解、ではありましたが、そのような誤解を招いた背景にも慎重に目を向け、紛争や戦争は、そういった誤解やボタンの掛け違えのような原因からも偶発的に起こり得る、ミスリードしないように慎重な言動を心がける必要がある、ということを、首相をはじめとする政府関係者は肝に銘じておかなければならないでしょう。