女子学生殺害 死刑判決破棄で上告

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131021/k10015440001000.html

1審の裁判員裁判はおととし、求刑どおり死刑を言い渡しましたが、2審の東京高裁は今月8日、「殺害された被害者は1人で、計画性もなかった。死刑を選択することがやむをえないとまでは言えない」と指摘して、死刑を取り消し、無期懲役を言い渡しました。
この2審の判決について、東京高検は21日、「被害者が1人の事件では計画性がなければ死刑を選択できないというのは、過去の判例に違反している。犯行の方法も悪質で、死刑を言い渡さなければ著しく正義に反する」などとして、最高裁に上告しました。

千葉大生殺害:裁判員裁判の死刑破棄 東京高裁は無期判決
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20131010#1381368743

でもコメントしましたが、被告人が強盗致傷などの前科で服役し出所から3カ月足らずの間に強盗や強姦事件を繰り返した挙句に女子大生殺害にまで及んだ、その悪性や矯正不可能性(そうであれば、ですが)といった事情を、本件殺害については計画性までは認められないとしても、死刑選択にあたりどこまで重視するかは問題になるでしょう。
やや類似性があると感じるのは、

三島市の女子短大生殺害で上告棄却、被告の死刑確定へ
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080229#1204269039

でコメントしたことがある事件(地裁で無期懲役→高裁で破棄、死刑判決→最高裁が上告棄却)で、この事件では、殺害自体に計画性はなかったものの、被告人の犯罪傾向が進んでいることや犯行の残虐性などから死刑が選択されていたという記憶です。
本件のようなタイプの事件で、最高裁が死刑まで踏み込んでくるのか、踏み込んでくれば、今後、計画性までは認められない殺害被害者1名の事件での死刑選択の範囲が広がる可能性が高く、最高裁の判断が注目されます。

2013年10月21日のツイート

JR北海道の内部文書「運転報」や制服がネットなどを通じて流出

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00256305.html

JR北海道は2009年、備品を外部に流出させないように指示したうえ、制服を新しくした際に、古いものと新しいものを交換したため、外部流出はないとしている。
しかし、ネットオークションには、21日も制服などが出品されており、管理がなされていない状態が続いている。

私は、2000年から2009年まで、ヤフー株式会社で、ネットオークション上のこういった問題も扱っていたので、いろいろなケースに遭遇したのですが、その当時感じたのは、世の中には本来出てはいけないものがいかに多く出まわっていて、それがオークションにも出品されているか、ということでした。元々は組織所有の物でも、管理がいい加減で、廃止・廃棄処分に伴い無主物になっている可能性など、横領品といった捉え方が困難なものも少なくなく、管理不十分といえばそれまでですが、グレーなものが世の中には多数流通していて、ネットオークションはそれを大きく顕在化させたとは言えるでしょう。
管理が、万全までは無理でも意識して行われていれば、流出、問題化しても、法的な面も含め、打つべき手は出せてくるものなので、こういった問題を抱える組織は、管理態勢、方法の見直し、徹底を早急に行うべきでしょう。

「笑っていいとも! 」3月で終了=放送31年余、国民的番組に幕

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131022-00000078-jij-soci

番組は1982年10月から「楽しくなければお昼じゃない! 」をコンセプトにスタート。タモリさんの軽妙な話術に加え、関根勤さん、中居正広さんら多彩なレギュラー陣が人気を呼んだ。

「いいとも! 」の放送回数は22日で7947回。2002年4月に放送5000回を達成したことを受け、03年度版のギネスブックに、単独司会者による生放送の世界記録として掲載された。

私は、1982年4月から翌1983年3月まで、京都の予備校の寮で生活していたのですが、その寮がテレビ持込み禁止で、時々、近くの定食屋へ行って、笑っていいともを見ていたのを、この記事を読んで思い出しました。振り返ると、まだ始まったばかりで、高校を卒業したばかりの私にとって、観たい番組だったのでしょう。
これだけ長期間続いた、というのは、すごいことだと思いますし、その時々の話題や流行、人気ある人を、うまく番組に登場させることで長く続いたということは言えるように思います。
長年続いた番組で、昼にこれを観るのが習慣化、定着している人も多いでしょう。昭和から続いた番組が終わる、ということに、寂しさ、様々な感慨を感じます。