ロンドンは「過去最大のデジタル五輪」だった

http://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1210/19/news019.html

Wi-Fi接続に対応したスマートフォンタブレット、PCなど持ち込み機器が増え、会場でTwitterFacebookなどソーシャルメディアに投稿する人も急増したロンドン五輪Wi-Fi接続需要に応えるため同社は、「標準的なWi-Fiネットワークに比べ、4〜5倍のパフォーマンスがある」という高密度なWi-Fi環境を構築した。ネットワークの利用状況をクラウド上のツールでモニターし、状況によってアクセスポイントをオン/オフするなど、クラウドによる制御も行ったことで、安定的に通信環境を提供できたという。

開催前には、膨大なトラフィックをさばききれないのではないか、といった危惧が持たれていてそういった報道もありましたが、見事に乗り切りましたね。これだけツイッター等が利用されている中で、この乗り切りは立派なもので、たいしたものだと私も感服しています。英国の、この分野での高い技術力を実証したということも強く感じます。
今後、こういった巨大なイベント(巨大でないイベントであっても)における参考になる先例として、お手本にされることになるでしょう。

2012年10月19日のツイート

「早く認めた方が有利」 誤認逮捕の学生に神奈川県警

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121020-00000010-asahi-soci

神奈川県警は、取り調べ中の捜査員の発言について調査中だが、現段階では「誘導は確認されていない」としている。上申書についても「大学生が書いた」として、捜査手法に問題はなかったとの立場を変えていない。

やってもいない人について、自白調書が作成されている以上、自発的に具体的な供述ができずはずもなく、取調官が、手持ちの資料を見せつつ強烈に誘導しない限り、上申書も含め、作成されたはずがなかったでしょうね。
警察で作成される上申書は、その多くが、取調官が下書きを予め作成していたり、取調官の「誘導、指導」のもとで被疑者が下書きをして、それに基づいて(その過程で捜査機関にとってまずいことは書かないように取調官が「誘導、指導」します)、清書して作成するものです。取調べが可視化されていない現状では、その過程が記録に残らないため、出来上がった(清書された)書面しか残らず、上記のように、捜査機関側は被疑者が自発的に書いた、と強弁するのが普通です。しかし、やってもいない人が上申書を書いて犯行を認めていること自体が決定的におかしなことで、「捜査手法に問題はなかった」で済む問題ではありません。
一旦、ストーリーを作り上げてしまうと、それを検証しようともせず暴走し虚偽自白ももぎとってしまう、という、「特捜部型」の捜査が、正にウイルスのように捜査機関全体をむしばんでいる、可視化されていない取調べが、そのような捜査を温存し次々と冤罪を生んでいる、ということが、一連の事件を契機に、より明らかになったと言えるでしょう。

星一の国際貢献 ドイツ科学界を救った日本人

http://sankei.jp.msn.com/life/news/121020/art12102009050001-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121020/art12102009050001-n2.htm

その人の名は星一(ほし・はじめ)、「ショート・ショート」と呼ばれる掌編小説のジャンルを確立した作家、星新一氏の実父である。彼は若き日に渡米、苦学してコロンビア大学を卒業し、明治38年に31歳で帰国して製薬会社や薬科大学を創設。一方で後藤新平と親しかったため、後藤の政敵から仕組まれたさまざまな妨害と戦いながら、激動の時代を果敢に生き抜いた快男児である。
その彼が後藤から、第一次世界大戦に敗北したドイツの科学界が実験用のモルモット一匹を買う金にも難儀しているとの話を聞く。この時である。星はこれまでドイツ科学界から日本が受けた恩恵に報いようと、自分が援助する旨を申し出る。金額は200万マルク、この破格の支援金は横浜正金銀行を通じてドイツに送金された。

かくて、風前の灯(ともしび)だったドイツ科学界は再建される。当時、世界から冷淡視されていたドイツの学者たちが東方の国からの格別の援助に感極まった様子が目に浮かぶ。

「これまでドイツ科学界から日本が受けた恩恵に報いようと」見返りを求めず身銭を切って破格の援助をする、という、太っ腹で思い切りの良いところが、とても好感が持て、感服するものがありますね。
力があり財力がある人や組織に擦り寄って行く人は多いものですが、力を失った、零落した存在に手を差し伸べる人というのは少ないものです。第一次大戦に敗戦した後のドイツに、善意からこれだけの援助をした人物の存在は、今後も長く語り伝えられるべきでしょう。

県警、密室トリック見破る 各務原女性殺害、現場に違和感

http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20121020/201210201121_18383.shtml

部屋のドアは、カードキーを差し込んで開錠するタイプで、鍵の複製は不可能だった。二つある鍵の一つは室内に、もう一つは父親が所持。窓も閉まっており、完全な密室だった。県警幹部は「事件の線は薄いとの見方は確かにあった」と振り返る。
しかし、ある捜査幹部は「部屋の空気みたいなものから、事件の線は捨てきれなかった」という。

着目したのは、玄関ドアの新聞受け。内側の箱のふたが開いたままだった。「新聞が箱の中にたまらないよう常に開けている人はいると思う。しかし、被害者は新聞を取っていなかった」。ドアに何らかの細工をするために、犯人が開けたものなのではないか―。「違和感を感じ、ずっと気になっていた」

被告はその後、ドアの外から新聞受けを通じて内側の鍵にひもを付け、外側からひもを引いて施錠する工作を説明。「自殺に見せかけるつもりだった。交際トラブルで殺害した」などと供述した。

上記の記事を読んですぐに思い当たったのは、現在、注目されている遠隔操作ウイルスの事件でした。ウイルスの件でも、一見、パソコンの持ち主が犯人に見えてていたわけですが、岐阜の件のように、どうもおかしい、という健全な疑問、違和感を持ち、それを大切にして別の可能性をきちんと検証、確認していれば、起きてしまったような誤認逮捕、誤起訴、といったことは避けられた可能性があるように思います。
逆に、岐阜の件で、見えているもので即断してしまう、ということをやってしまっていたら、自殺として処理され犯人の狙い通りで事が運んでしまった(ウイルスの件で捜査機関がまんまとはまってしまったように)可能性が高いでしょう。
見えているものだけで思い込んで暴走する、ということの危険さ、恐ろしさ、捜査のプロとして期待されているものは何か、ということを、岐阜の件とウイルスの件の対比の中で、しばし、しみじみと考えていました。