ツイッターやFacebookをフル活用〜“自分ブランド化”の先端を学ぶ 『Me2.0』の著者、ダン・ショーベル氏に聞くパーソナルブランディング

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20100512/214357/?P=2
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20100512/214357/?P=3

ブログは個人のキャリアやビジネスもサポートしてくれます。第一に、毎日新しい記事を書くことで文章力が向上します。第二に、同業者との交流が増え、業界やネットワークの動向に自然と詳しくなります。第三に、自分のアイディアを披露し、残しておくことができます。記事は検索対象になるので、必要な情報を必要な人に届けることも可能です。またブログがあれば、自分や自分の関心分野、ビジネスに関心を持っている人々のコミュニティを構築できます。つまり自分が興味のあるものについて書くことで、商品を売ったり、講演やコンサルティングの機会を得たり、広告収益を上げたりすることができるのです。

自分の名前や写真があるところには常に、自分ブランドがあります。人材サービスや大手メディアを介さずに採用担当者や消費者と交流できるツイッターは人気のツールです。自分をどうポジショニングしたいのかが明確で、そのためのプロフィールも構築できているなら、自分のコミュニティに付加価値をつけるためにツイッターを使うのはアリでしょう。ディレクトリ型ツイッターユーザー検索サービスTwellowでフォローすべき人を見つけたり、自分が本当に関心のある人々と交流したりすれば、ツイッターを有意義に活用できるはずです。

先日、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20100415#1271290828

でコメントした

でも、こういった「ブランディング」が取り上げられていましたが、今後、ますます重要になるスキルでしょうね。
ブログ、ツイッターといったツールを使うこと自体は簡単で、お金もかかりませんが、それだけに、大勢の人々の中で自分を目立たせる、傑出させることには多大な困難が伴います。上記の記事にもあるように、まずは、自分自身を深く理解し、何が持ち味か、どこを強調して行くべきかといったことを明確にするということが、やはり必要なのでしょう。
と書いているうちに、記事で紹介されている著者の

ME2.0 ネットであなたも仕事も変わる「自分ブランド術」

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にも興味を感じてきて、アマゾンで注文しました。

成田発旅客機引き返す 拘束の男が隠し持った液体は…

http://www.asahi.com/national/update/0517/TKY201005170325.html

千葉県警などによると、機内で、アジア系外国人の男2人が、それぞれ別のトイレに入ったまま約1時間出てこなかった。乗務員が出てくるよう促したが、従わなかったため、ドアの鍵を開けて2人を拘束した。
拘束された男は液体が入ったポリ袋をトイレ内に置いていたという。機長は、不審な液体のため、成田に引き返すことを決めた。空港関係者によると、この液体はその後の調べで、尿と判明した。

こういったトラブルが起きると、なんだ、いたずらか、程度で済まされてしまいがちですが、何か重大な事件が起きる予兆であり仕掛ける前の予行演習をやっていた、ということもあるため、慎重に調べなければならないものではないかと思います。結果的には無駄になっても、疑問があれば疑問が解消されるまで調べなければなりません。
そういう感覚が持てるかどうかが、警備・公安の分野で傑出した存在になれるかどうかの分かれ道になると言えるような気がします。
と、しがない弁護士が言ってもあまり説得力はないですが(笑)。

「一審は想定外」発言を批判 前宝塚市長二審も実刑

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100518/trl1005181757011-n1.htm

被告が控訴審で「一審の実刑は想定外だった」と発言したことについて「1100万円もの金を受け取っておきながら理解できない」と批判した。
被告側は控訴審で「わいろの一部は使わず返還した」と事実関係を否定したが、判決は「贈賄側の証言などを検討すると、一審の認定に誤りはない」と退けた。

「想定外」発言がダイレクトに実刑維持へ結びついたかどうかはわかりませんが、わざわざ裁判長が言って批判しているくらいですから、裁判官の心証を害したことは間違いなさそうです。一部否認ということもあり、減刑などもってのほかということになった可能性があります。
こういう場面では「想定外」などというのではなく、例えば、

実刑という一審の判決は自分としても覚悟していたものだったが、実際に宣告されると改めて自分のやったことの重大さがひしひしと感じられた。多額の賄賂を受け取った責任の重大性からは当然の判決とは思うが、社会内でやり直す機会を与えていただきたい。

といったことを殊勝に述べる、というのが、考えた対応という気がします。
刑事公判というものは、刑事裁判官のメンタリティというものをよく理解して臨む必要があるでしょう。無罪になるなら、言いたい放題言いたいことを言って構いませんが、多くの事件では有罪となりいかなる刑になるかが問題になります。刑事裁判官のメンタリティでは、罪は犯したが悔い改め反省している、そうであるからこそ社会内において更生できる、そうでない人間は施設内処遇で厳しく処遇するしかない、という強固な固定観念を持っているもので、そういうメンタリティでは、上記の記事にあるような発言は言語道断、ということになってきます。そういったメンタリティ、量刑の在り方を批判するのは自由であり、また、批判的に見るべき面もありますが、それはそれとして、実務ですから、いかにうまく切り抜けるか、ということを考えないと、後悔したときには塀の中、臭い飯(実際は臭くはないのですが)ということになりかねません。注意が必要でしょう。