小沢代表「全く問題ない」…捜査次第で進退に発展も

http://www.asahi.com/politics/update/0303/TKY200903030284.html

野党側の抵抗で厳しい国会運営を強いられていた与党は、捜査の進展に応じて小沢氏本人や関係者の国会招致を求めるなど、強気の姿勢に転じる可能性もある。「09年度予算成立後には衆院解散に踏み切るべきだ」との声も出始めた。
ただ、西松建設OBが代表を務める団体からの献金自民党側にも渡っており、同党執行部は「捜査が自民党にも及びかねない」と、警戒感を強めている。

特捜部が、有力政治家の公設第一秘書のような立場の者を逮捕するような場合、逮捕の前から起訴することは決まっていて、その後の逮捕、勾留は、既に収集済みの証拠に基づく自白獲得、さらに事件を縦に横に伸ばすための供述引き出し、といったことに使われるものです。最近、何の事件であったかは忘れたものの、「特捜の逮捕は起訴を意味する」というフレーズを見たか聞いたかしましたが、例外はあるものの、それが原則です。証拠関係とか弁護活動によっては不起訴になる、といった、教科書に書いてあるような感覚は、ここでは通用しません。起訴は既定の方針ですから、そのために必要であれば、なりふり構わず、死に物狂いで自白獲得を目指してくるものです。
民主党周辺から、「国策捜査」批判が出ているようですが、その辺は、特捜部というのは抜け目ない面があるので、国策捜査じゃありませんよ、私たちはバランス良く捜査をやっていますよ、ということをアピールするために、今後、自民党からも逮捕者が出るという可能性はあるでしょう。
政界がゼネコンマネーで汚染されていたことが改めて明らかになった中で解散になった場合、誰が、どの政党が勝利し、政権へと近づくのでしょうか。

東京中央郵便局 総務相『壊すな』 保存論議再燃か

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009030302000050.html

政府関係者は「局舎の一部を文化財のように残す開発手法は欺瞞(ぎまん)だ。世界的な不況の中、経済効率を求める不動産事業は皮算用ではないか」と皮肉を込めた。
保存を訴えている一人、南一誠・芝浦工業大教授は「日本郵政の株を100%持っている政府の発言だけに、大きく流れが変わるかもしれない」と期待を寄せた。

私は、歴史的建造物が集められた明治村のようなところへ行くと、夢中になって見て回るような人間なので、東京中央郵便局のような貴重な建造物は、是非、残してほしいと思いますね。
郵政民営化という大きな流れは間違っていなかったとしても、大きな流れの陰の、国民に見えにくいところで行われていたのが、貴重な資産をリンゴやバナナのように二束三文で叩き売ってみたり、その一方で金儲けのために貴重な文化遺産を破壊しようとしてみたりといった由々しきことで、鳩山大臣という人物にはうさんくさいものを感じつつも、この辺でおかしな流れに歯止めをかけ適正な方向へ軌道修正させることは、長い目で見て是非とも必要、という印象を受けます。

捜査において「陰謀」はあるか?

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060122#1137897955

ライブドア事件の時に書いたものですが、今回の小沢代表絡みの事件を機に、改めて読み直してみました。基本的には、今でもこういう認識ですが、今回の事件、捜査は「政治」そのものに切り込んでいるものであるだけに、そこに陰謀の臭いや国策捜査の影を感じる人が少なくないのはやむを得ないでしょうね。

追記:

上記のエントリーで、

結局、動機や経緯に不純なものが含まれていたとしても、立件し起訴する、という段階にまで至れば、公判を維持し有罪判決を獲得できるか、という観点から厳密な証拠評価を行わざるを得ないので、その段階で、「はめる」「陥れる」といった要素を含めるということは、まず不可能というのが、日本の捜査(特に経済事件の捜査)の実態ではないかと思います。

と書きましたが、元々の事件の「見立て」に強引さがあり、かつ、強制捜査までの内偵段階で、そういった強引な見立てに沿った供述証拠が強引にもぎ取られてしまえば、その結果、描かれた構図は、証拠には基づいていても、やはり、「作り上げられた」ものという側面を強く持つことになるでしょう。その意味で、上記のように、陰謀論的な意味において、

「はめる」「陥れる」といった要素を含めるということは、まず不可能

ではあっても、バイアスのかかった捜査そのもの(主観的には真相を解明するという熱意に基づいてはいても)が、被疑者、被告人を「はめ」「陥れる」ことになる、という場合があることは否定できません。
強引さ、もぎ取り方、作り上げられ方がどこまで行けば、実体的真実に反する虚構、ということになるかはケースバイケースですが、経済事件、特に地検特捜部が大々的に乗り出すような事件は、常にフィクションとノンフィクションの境目の中にある、ということは言えるのではないかと思います。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080127#1201401752

でもコメントしたように、供述調書というものには有用性と危険性というものが両方あって、我が国において取調べというものが可視化されていない(その動きは徐々に出てきつつありますが極めて不十分)現状では、捜査機関が描き、マスコミを通じて垂れ流されている情報、構図に対する健全な懐疑心というものは、常に持っておく必要があるように思います。