松本女性強殺:事件前日に歌、夫の最後の思い出…時効迫る

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090302k0000m040065000c.html

みすゞさんは事件の12年前からパチンコ景品納入の仕事を始めた。事件当日「お父ちゃん、昨日の誕生会、ありがとう」と言って茂樹さんを送り出した。4時間後、景品を運ぶ途中に男に車を止められ、刃で首を切られ現金40万円と小切手(額面3000万円)を奪われた。前年の93年に隣町で景品交換所の経営者が殺害される同様の事件が起き、危険だからと3月末で辞めると決めていた矢先だった。

1994年3月というと、松本サリン事件が発生する直前で、あのような大失態を犯した警察が捜査していたのでは解明は程遠かっただろう、ということが、実感として強く感じられます。翌年には、オウム真理教を巡る捜査が大きく動き、松本サリン事件も警視庁によって解明され、捜査の上で何の役にも立たなかった長野県警も、道案内や交通整理をしたり物を運んだり、といった捜査能力がなくてもできる下働きでそれなりに忙しかったはずで、この強盗殺人事件の捜査をやっているどころではなかったでしょう。
気になるのは、上記の記事にある「93年に隣町で景品交換所の経営者が殺害される同様の事件」ですが、これも時効になっているとすれば由々しき事態であり、時効期間の延長、撤廃だけでなく、警察の捜査体制の強化といったことも考えて行かないと、特に長野のような捜査機関が杜撰で頼りない地域では、犯罪のやり放題、人が殺され放題、殺され損という、看過しがたいことがいつまでも続きかねないでしょう。

3千万円のはずが…UBS証券、「3兆円」の誤発注

http://www.asahi.com/business/update/0226/TKY200902260008.html

同社によると3千万円の売買注文を出したはずが、UBS内のシステムの不具合で3兆円の注文に「変換」され、文字通りケタ違いの巨額取引となったという。ミスに気づいた東証は、取引を取り消した。

3000万円が3兆円に「変換」されるような不具合が発生するシステム、というのがすごいですね。単なる人間のミスをシステム不具合のせいにしているのであれば、かえって、使っているシステムに対する深刻な不信感を抱かれかねないでしょう。「システム」という言葉の中に、人間の手の動きなども含めているのかもしれませんが。
ミスというのは慣れの中で起きがちなので、いかに緊張感を持続するか、間違いやすいとことろをチェックする体制を整備するかが問われますが、なかなか難しいもので、根絶できないものです。

ムチ

「無知」ではなく「鞭」の話です。
以前、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20071120#1195523725

で、終戦時に自決した阿南陸相が持っていた鞭についてコメントしましたが、昨日、旭川で、帰京前に北鎮記念館へ行き、展示品を見て回っていたところ、ノモンハン事変で戦死した将校が鞭を持ってどこかの玄関を出ようとするところを撮影した写真があり、その愛用の鞭も展示されていました。鞭と言っても、SMの女王様が持っているような長い鞭ではなく、長さ50センチ程度の短い鞭で、写真の説明では「愛用の」となっていましたから、当時の陸軍将校は、馬に乗らない時でも、それを手に持って歩くということがよくあったのではないかと推測されました。阿南陸相も、おそらく展示品のような鞭を持ち歩いていたのでしょう。
こういった、さりげないことは、時が過ぎ関係者が亡くなって行く中で、次第にわからなくなってしまいますが、展示品などをよくよく見ると、なるほど、こういうことだったんだな、と思えることがあるものだ、と改めて感じました。
北鎮記念館では、

で紹介されているような、旧陸軍第7師団に関する様々な資料が展示され、日曜日でしたが他の来館者はほとんどなく、じっくりと見学することができました。無謀、無益な戦争の先兵になったという側面があるとしても、責められるべきは誤れる国策を樹立し戦争指導に当たった当時の指導者であり、国の発展を信じ家族や友人、知人を思いながら戦陣に散った人々の犠牲には、尊いものがあると感じました。そのような思いから、見学後、すぐ近くにある護国神社へ行き、参拝しました。

陸自3佐「部下に靴下くわえさせ」停職20日 手りゅう弾に見立て

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090302/crm0903021635020-n1.htm

所属部隊名については「幹部でもありこれ以上の制裁は受けさせたくない。被害者も特定される」と明かしていない。
処分理由によると、3等陸佐は昨年6−10月ごろ6回にわたり、補佐役だった部下の仕事ぶりに不満を持ち指導していた際、手りゅう弾に見立てて訓練に使う丸めた靴下を口にくわえさせたほか、平手打ちなどの暴行をした。

陸自のコメントは、この人物をかばっているように感じられますが、そもそも幹部自衛官としての資質に欠ける不適格者ではないか、というのが、常識ある国民の受け止め方ではないかと思います。
昭和天皇は、かつて、防衛庁長官に対し、旧軍の悪いところは見習わず良いところだけ見習うようにと言われたことがあったようですが、旧軍の悪弊が身に染みついたような、こういった下劣な人物を厳しく排除できない自衛隊の体質には、不信感を強く感じます。

塩狩峠事故から100年…長野政雄さんを追悼 ろうそくを手に200人が賛美歌

http://www.zakzak.co.jp/top/200903/t2009030249_all.html

事故現場近くにある記念碑前に約200人が集まり、ろうそくを手に賛美歌と祈りをささげた。また、事故の際に長野さんが持っていた聖書が初めて公開された。
追悼式に先立ち、三浦さんの出身地・旭川市では夫の光世さん(84)が講演し「綾子が、主人公のモデルとなった長野さんの部下の男性から話を聞いて感動した」と題材に選んだきっかけを説明。「たくさんの人に読まれ、自殺を思いとどまったという人もいた。綾子が聞いたら喜ぶだろう」と振り返った。

すぐ下のエントリーに出てくる、部下に丸めた靴下を口にくわえさせたりしているような「幹部」自衛官は、三浦作品でも読んで人としての生き方を少しでも考えてみたほうが良さそうですね。
昨日、北鎮記念館に行った後、三浦綾子記念文学館に行きましたが、そこは正に「氷点」の世界で、心に残るものがありました。たまたま、館内に、上記の記事にも出てくる三浦光世氏がおられて、すぐ近くでお姿を拝見することができました。今後も、お元気で活動していただきたいものです。
「事故の際に長野さんが持っていた聖書」は、できれば、今後、文学館で公開してほしいと思いました。