法相「法務省や検察が言ってること」・冤罪発言で弁解

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080216AT1G1600R16022008.html

鳩山邦夫法相は16日午前、福岡市での会合で、被告全員の無罪が確定した鹿児島の事件を「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではない」と発言したことについて「法務省や検察が常日ごろ言っていることをそのまま申し上げた」と話した。

捜査が不備だったり公判での立証がまずかったりして無罪が出た場合に、負け惜しみで、「本当は有罪なんだ」などと言う検事がいないわけではありませんが、それは間違った考え方です。冤罪とは何かについて、法務・検察の世界で、常日ごろ口にされている「定説」のようなものを、私は聞いたことがありませんし、法務大臣が何をもって、「常日ごろ言っていること」と言うのか、理解できません。単に、責任転嫁を図っているだけではないかと思います。
言えば言うほど泥沼にはまって行く、一種の「失言アリ地獄」のような状態に陥っているように見えます。

ケニア 野生動物助けて…密猟防止NGO、資金難で危機

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080216-00000014-maip-soci

密猟パトロールや道路補修などに当たる保護監視員40人を雇用。07年までの6年間に1005人の密猟者を拘束し、食用などとして野生生物が殺されるのを防いできた。
活動資金は入園料(1人40ドル)で賄ってきたが、大統領選後の暴動の影響で入園者が激減。1月の同地区の入園者は例年の3割の2000人余、2月はさらに減っており、監視員らへの給料さえ払えない状況になった。

以前、私がケニアに行った際、監視員に案内してもらって、保護されている動物を見学したことが思い出されます。そのときの経験からも、観光客激減は、あらゆる関係者にとって大きな痛手になっているものと推察されます。
一日も早い治安回復が、観光客呼び戻しにつながり、ケニア経済の立て直しにもつながるということでしょう。

「検察庁は公益の代表者の地位を捨てるのか?」

http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2008/02/news_084c.html

検察はもちろん訴追官であるから、訴追した被告人について有罪判決を得ることが目的なのは不思議ではない。しかし、検察官は公益の代表者であり、無辜を罰してはならないということも追求するべき存在なのである。裁判所のような中立性はないが、実体的真実に適った裁判を追求すべきことは当然で、真実罪を犯した者に刑罰を与えると同時に、真実は罪を犯していない者に刑罰を与えないようにすることも、検察の本来的任務である。

これは、刑事訴訟法上、「検察官の客観義務」ということで論じられることがある問題ですね。日本の検察官の性質、性格をどう見るか、という、深遠な学術上の問題はともかく、町村教授が指摘されるような法制度上も、そして、それ以上に、検察庁、検察官の意識、プライドの問題として、検察官は公益の代表者であり被疑者、被告人の有利、不利を問わず、実体的真実を解明し「やっている」場合だけでなく、「やっていない」場合も、やっていないことを明らかにするのが責務である、ということで、「従来は」やってきたはずです。従来は。
かつて、関西検察のエースであり、今や塀の内側に完全に落ちてしまった田中森一氏にとっても仰ぎ見る存在であったはずの別所・元大阪高検検事長の著書

でも、そのことが強調され、「やっていない」ことを解明した体験談が紹介されていたことを思い出します。
余談ですが、以前、別所氏が神戸地検検事正時代に、その下で働いていた検事の体験談を聞いたことがありましたが、別所検事正は、一般的にどこの検察庁でも気にされがちが未済事件について、全然気にしておらず、「捜査に時間がかかるのは当然である。」と、常日頃言っていた、ということで、いかにも別所氏らしい話であると感じ入ったことがありました。
私が検事になった平成の初め頃には、まだ、そういった良き伝統が残っていたような印象ですが、徐々に、そういった良き伝統は失われ、今や、日本の検察庁は、刑事事件を一種のゲーム視し、起訴できれば、有罪になれば「勝ち」であり、勝つためにはあらゆる手段を講じ、負けにつながることはしない、という、国民にとっては何とも厄介な存在になりつつある、あるいは、既になってしまっているのではないか、という強い懸念を持たざるを得ません。一旦、そういった存在になってしまえば、民主的基盤を持たない、ピラミッド型の閉鎖的な官僚組織であるだけに、捜査、公判の暴走を止めることが困難になり、一旦、暴走し始めれば、富山の冤罪事件のように真犯人が現れたり、鹿児島の選挙違反事件のように裁判所により事件の空中楼閣性が厳しく指摘され無罪判決が出たりしない限り、誰にも止められず、そういった見るも無残な結果に終わっても、誰も責任を取らず、鳩山発言のような馬鹿げた発言すら平然と出てくる、ということになってしまいます。
町村教授の指摘は、日本の刑事司法の中核を担うべき検察庁が、そういった恐るべき存在になりつつある、あるいは、既になってしまっていることを指摘しているものと言え、今後、このような危険な存在をこのまま放置しておくべきではない、大改革が必要である、といった議論につながる可能性も秘めているように思います。

追記:

先輩にもまれ経験積む
http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000160709080001

別所氏のことを検索していたところ、内尾検事(平成7年に東京地検特捜部へ応援で派遣されていた際にお世話になったことがあります)の体験談が出ていて、そこで、別所氏(当時、神戸地検検事正)のことが、

毎日遅くまで残って、事件の記録をすみずみまで全部読んで決裁をする方で、私たちは検事正の秘書から「決裁が下りました」と連絡があるまで帰宅できませんでした。それに、夜でも呼び出されて鋭い指摘を受けることがありました。

と回想されています。
内尾検事の回想は、数回にわたり連載されていて、一通り読みましたが、著名事件の捜査経過も紹介されていて、なかなか貴重な内容と思います。
前にも本ブログでコメントしましたが、これほどの別所氏でも、甲山事件では失敗していて、捜査、公判の難しさということを痛感します。

「ストップ!今すぐ」管制官が懸命の交信…日航機無断滑走

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080216-OYT1T00767.htm

「離陸許可をもらったと思った」。今回の無断離陸トラブルについて、502便の機長らは離陸を始めた理由をこう語ったといい、管制官の無線指示を聞き間違えたのが原因との見方が強まっている。降雪の影響で出発時間が大幅に遅れていたことから、乗員に焦りがあった可能性もある。

その後も大雪の影響でなかなか出発できず、結局、同便は午後2時過ぎに欠航になり、乗客は全員が降ろされた。
同便の乗客は、新千歳空港で別の便に振り替え、羽田空港に向かった。羽田で飛行機を乗り継ぐ予定だった乗客は、「機内で缶詰めにされた上、予定の飛行機には乗り遅れた。トラブルについて何の説明もなかった」と腹立たしげに語った。

あわや追突、炎上というところでした。説明不足、乗り遅れと、乗客の腹立ちもわかりますが、追突事故が現実に発生してれば、大惨事になっていた可能性もあり、この程度で済んだ幸運に感謝すべきであったかもしれません。
相変わらず社内は混乱し、業績も芳しくなく、次々とあってはならない事故が起きるこの航空会社を、あの暑い夏を思い起こさせる未曾有の大事故が、ぱっくりと口を開け、間近で待ち構えているように思うのは、おそらく私だけではないでしょう。

前時津風親方の恩師 「命の重さ伝えたか」 山本君なぜ

http://www.asahi.com/national/update/0216/TKY200802160235.html

先日、朝日新聞の「声」に投稿が掲載されていて、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080212#1202786883

とコメントした、元親方の中学校時代の恩師についての記事が掲載されていました。

「自分と同じ道を歩んだ若い力士を、なぜ……。罪を償い、素直で明るい両国中学時代の人間・山本順一を取り戻して欲しい」
事件は、丸木さん自身にも問いを投げかけた。1人の命を奪ったかつての教え子。教師として、無関係ではいられないのではないか。
「彼の最後の学校生活で、私なりに人の命の重さを伝えられなかっただろうか」
その無念の思いをペンに託し、朝日新聞に投稿。11日朝刊の「声」欄に掲載された。

丸木さんはいま、不登校や高校を中退した生徒たちを支援する「通信制サポート高」で、200人あまりの生徒のケアにあたっている。
「相手の心を理解できる人になってほしい。そうすれば、人を思いやる気持ちは、おのずと出てくるものだから」
生徒へのまなざしは、40年以上前の教え子への思いに重なっている。

先週の週刊朝日の記事(2月22日号29ページ以下)で、元親方へのインタビューが掲載されていましたが、「私のこれまでは何だったんだろうと自分で自分に問いかけますが、答えはありません。この先に何を見ていけばいいのか、わかりません。」(32ページ)とあるのが印象的でした。
上記の記事の中にある、「生徒へのまなざしは、40年以上前の教え子への思いに重なっている。」とある恩師の心情を、元親方がどこまで真摯に受け止めるかによって、見えてくる答えがあるかもしれず、今後、見て行くべきものが徐々に見えてくるかもしれません。

波にさらわれた警部補、遺体で発見

http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080217/dst0802172219016-n1.htm

清水警部補は今月11日、家族4人で新島村羽伏の羽伏漁港で釣りをしていた際、海に転落した三男(2)を助けようとして行方不明になっていた。三男は駆けつけた警察官に助けられて無事だった。

この事故については、テレビで報じられているのを見ましたが、防波堤が高く、お子さんを助けあげたもののよじ登れないまま立ち泳ぎしつつ救助を待ち、お子さんは何とか助けられたものの警部補は力尽き行方不明になった、とのことで、大変痛ましい事故であると思いました。
家族と行動中の事故ですが、我が子とはいえ人命救助中のことであり、何とか公務災害として扱い、ご家族の身が立つような方向に持って行けないものかと思います。
無事に助かったお子さんには、ここまで頑張ってくれたお父さんの犠牲を無にしないよう、立派に成長し充実した人生を歩んでほしいものです。
ご冥福をお祈りしたいと思います。