<東京地検>特捜部長に八木氏 大鶴現部長は函館検事正に

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061216-00000022-mai-peo

大鶴氏は東京地検特捜部副部長を異例の2度務め、05年4月から現職。

来年1月に異動、ということで、在職が2年近くになりますから、特捜部長としては長めの在任だった、と言えるでしょうね。現在は、検事任官後、最低25年務めないと検事正にはなれず、通常は30年程度で検事正になっている場合が多いでしょう。その中で、51才で検事正になるのは、かなりの栄進と言っても過言ではないと思います。函館は、昔から事件数が比較的少ない、治安状況が良好なところと言われていて、将来を嘱望される人材を、こういった「傷がつきにくい」ところへ配置する、というのは、検察庁がよくやる手法です(逆に、そうではない人は厳しいところへ持って行って使い捨てにします)。過去にも、認証官経験者で函館地検検事正になった人もいて、最初の検事正赴任地としては悪くないでしょう。これを「左遷」と見るのは誤りだと思います。

ウィニー開発者「有罪」 ネットで判決批判が大勢

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2858749/detail

この問題に関するいろいろな意見が紹介されていて、参考になります。
私の印象としては、この件に関する有罪、無罪という点に、関心が集中しているように見えることに、やや不満を感じています。
確かに、それは重要な問題ですが、より重要なのは、この種の問題が今後発生した時に、どこまでが無罪でどこを超えると有罪なのか、その境界線を明確にしておくことでしょう。何をやっても有罪にならない、なるべきではない、というのも一つの考え方ですが、それが無理であれば、境界線を明らかにして、人々が(特にソフトウェア開発に従事する人々などが)、予測可能性を十分に与えられ無用な不安感にとらわれることなく仕事、生活ができるようにすべきでしょう。裁判所には、そういった境界線を最終的に明示する、という役割も担わされているはずであり、今回の京都地裁の判決は、そういった役割を放棄してしまっている、という点で厳しい批判を免れることができないと私は思います。
判決要旨を入手しましたので、近日中に、読んだ感想を本ブログでアップしたいと考えています。

プリンスホテル、最上級4ホテル「ザ・プリンス」に

http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20061213AT1D1307B13122006.html

最上級の「ザ・プリンス」は、東京プリンスホテルパークタワー、高輪プリンスホテルさくらタワー、軽井沢プリンスホテル南館、箱根プリンスホテル本館・新館の4施設。上級は「グランドプリンスホテル」とし、赤坂、高輪、新高輪、京都宝ケ池、広島の5つのプリンスホテルを名称変更する。
札幌、品川など36ホテルは従来の「プリンスホテル」の名称を残すが、新たなロゴに切り替える。

「プリンス」という名前に悪いイメージがついてしまい、払拭するのが難しい現状で、上記のようなことをやっても大きな効果があるとは思えませんね。
「ザ・プリンス」になるホテルが悪いとは思いませんが、1泊に5万円以上払える層はイメージも重視するはずで、特に都内では次々とラグジュアリークラスのホテルが開業している状況ですから、この程度では、なかなか利用してもらうことが難しいのではないかと思います。先日の夜、車で東京プリンスパークタワーの前を通りましたが、夜なのに客室で照明がついているところがまばらな状態で、稼働率はかなり低いと思いました。
外資系のホテルと提携し(全日空ホテルのように)、名称も大胆に変更しないと、復活は難しいと思います。復活しなくても、困る人は、多分、プリンスホテル関係者以外にはいない、ということも言えると思いますが。

銀座道ー大人の粋な遊び方

銀座道―大人の粋な遊び方

銀座道―大人の粋な遊び方

書店で手に取って、おもしろそうだな、と思い、買って読んでみました。銀座の高級クラブの一端を垣間見ることができたようで、予想通り、おもしろく読めました。
私自身は、こういったところへ行くことは皆無ですが、今後、行く機会がまったくないとは言えず、その際は、ここで書かれていることを思い出すでしょう。

司法制度改革TMで「やらせ」準備文書

http://www.asahi.com/national/update/1216/TKY200612150400.html

このTMに誘われて出席した都内の女性会社員(38)は「要領を得た質問が次々に出るもんだと感心した。確かに理解は深まったが、結局は私たちの存在も広報の道具だったのかな。だからと言って、自分が自主的に質問したわけでもない。そんな消極性が『やらせ』を後押ししたところもあるとも思う」と話した。

あらかじめ、「やらせ」で式次第が決まっていれば、「要領を得た質問が次々に出る」のも当然でしょう。やらせとは知らずに聞いていた人々も馬鹿にされたものです。記事の中で、法務省幹部のコメントとして、「役人の仕事を全うしただけ」「罪の意識は、ない」と紹介されていますが、 the Ministry of Justiceの幹部が、やらせを組織的に演出しておいて、罪の意識も感じないようでは、極めて問題でしょう。「Justice」という言葉を辞書で引いて、そこに書いてあることを噛み締めながら読んでみることをお勧めします。
こういった幹部は、通常、検察庁出身で、こういった感覚を持ちつつ、今後、検察庁の要職を登りつめて行くはずですから、考えてみれば恐ろしいこととも言えるでしょう。検察庁が民主的な基盤を持たないことの危険性が、改めて強く感じられます。
こういったことで罪の意識を感じない役所が作った法案(共謀罪をはじめとして)や、行った答弁を、信じろ、というほうが無理だと思います。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060524#1148435894

もしかしたら、上記の「幹部」は、「役人」という言葉に、「やらせでも何でもやって、国民をだましてでも、省益を図り大臣に傷を付けない」という意味を込め、そういった職務を全うしたことに「罪の意識はない」と自信を持っているのかもしれませんが、そうであっても、許し難いことには変わりはありません。
昔、司馬遼太郎の「世に棲む日日」(「花神」かもしれません)で、幕末に幕府の役人と交渉した欧米の人々が、相手の無責任さ、優柔不断さ、二枚舌等を「ヤクニン」と忌み嫌っていた、と紹介されていたことを思い出しました。
昔も今も変わらない「役人体質」というものも、大きな問題でしょう。

ネット参拝は是か非か、初詣で前に揺れる神社界

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061216-00000004-yom-soci

全国約8万か所の神社を管理・指導する神社本庁(東京)は、「ネット上に神霊は存在しない」と、今年初めて自粛を求める通知を出した。しかし、導入している神社からは「神社に親しみを持ってもらえる」「遠方の人の助けになる」との声もあり、本庁では頭を抱えている。

形ではなく、心の問題だと私は思います。心がこもっていれば、ネット参拝を排除すべきではないでしょう。
先日、映画「硫黄島からの手紙」を観ながら、孤立無援で大本営からも見捨てられた状態で、祖国のため、孤軍奮闘し最後まで勇敢に戦った栗林兵団長をはじめとする日本軍将兵に対し、私は、心の底からの畏敬と感謝の念を禁じ得ませんでした。こういった心を持つ、ということが重要であり、靖国神社に参拝するかしないか、ということは、重要ではないとは言いませんが、本質的に重要なこととまでは言えないように思います。