考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html

ボツネタ経由。
私の場合、実家で生活していた高校生の時までは、食事の際、「いただきます」「ごちそうさまでした」と言っていたと思いますが、大学に進学して一人暮らしをするようになって、口に出して言う、ということは、ほとんどなくなったように思います。
現在は、と言うと、自宅では、言ったり言わなかったり、という感じで、外で食事をするときに言うことは、ほとんどないですね。ただ、複数で会食する際、料理が運ばれてきて、「では、いただきましょう」という感じで言うことはあるな、と、この記事を読んで思いました。よく行くお店で食事をした後、帰り際に、「ごちそうさまでした」と声をかけることもあります。その辺は、その場その場で自然に振る舞っていると思います。
あくまで私個人の感覚ですが、「お金を払っているから、いただきますというのはおかしい」、という感覚には違和感を感じますね。料理というものは、作っている人が大なり小なり手間暇をかけて作っているものであり、対価を支払っているかどうかとは離れて、そういった労力に対し、「いただきます」と感謝し、「ごちそうさま」と労をねぎらうということではないかと思います。それを口に出して言うか、は、ケースバイケースで、必ず口に出さねばならない、ということもなく、口に出さないから感謝していない、というわけでもないでしょう。
「食べる」ということについて、我々は飽食の時代に生きているせいもあって、当たり前のことだと思いがちですが、世界的に見て、日本の満ち足りた食生活は決してスタンダードなものではなく、「いただきます」「ごちそうさま」という言葉の真の意味を、各自が考え直すのは良いことではないかと思いました。

「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」

小泉首相の施政方針演説で引用された言葉です。「志ある人は、溝や谷に落ちて屍をさらしても構わないと常に覚悟すべきだ」、という意味とのことです。
原典は孔子で、吉田松陰が語っていたとのことですが、吉田松陰らしい、深みのある良い言葉だと思いました。以前、司馬遼太郎の「世に棲む日々」を読んで、吉田松陰の生き方に感銘を覚えたことを、改めて思い出しました。
自分は安全圏に身を置きたい、リスクを負いたくないし失敗したくない、金も名誉も得たい、といった、欲や甘えはありがちなことですが、そういった私利私欲を引きずっていては、大事を成すことはできない、ということでしょう。

ボースと俊子 新宿中村屋のインドカリー

http://www.be.asahi.com/20060121/W21/20060104TBEH0005A.html
http://www.be.asahi.com/20060121/W21/20060111TBEH0028A.html
http://www.be.asahi.com/20060121/W21/20060111TBEH0029A.html

中村屋のインドカリーに、このような歴史から生まれたことを、初めて知りました。
六本木ヒルズの中にも中村屋はあるので、今度、歴史も味わいながらインドカリーを食べたいと思いました。

捜査において「陰謀」はあるか?

ライブドア・スキャンダルについて、「はめられたのではないか?」という見方が、根強くあるようです。
一般的に、捜査の中で、捜査機関側における思惑のある動きというものがあるとすれば、
1 捜査の端緒の段階で、「捜査機関にこの事件をやってもらって、是非ともこの人間、組織を葬ってほしい」といった思惑で情報が持ち込まれ(持ち込みネタ)、それに呼応して動く
2 捜査機関が、以前から特定の人や組織に苦杯をなめさせられていて、是非ともその人や組織に打撃を与えたいと、虎視眈々と狙って動く
3 「上のほう」から、「この事件をやれ」と命じられて動く
といったことが考えられると思います。
私の経験に照らすと、特に証拠関係が複雑な経済事件では、証拠を偽造、捏造する、証拠の評価をねじまげるなどして事件自体をでっちあげる、といったレベルでの「はめる」ということは、そもそも不可能だと思いますし、もし、そんなことをやっても、とても公判が維持できないでしょう。
上記の1から3までの可能性のうち、3は、最近、「国策捜査」などと言われる事件に典型的に見られるものです。ただ、ライブドアの場合、報道を見る限り、自民党との関係はそれほど悪くなく、今回の強制捜査までは、世間から叩きまくられていたわけでもないので、それはないだろう、と思います。
1については、証券取引等監視委員会の内偵の切っ掛けやその後の内偵を支えてきたものが、反ライブドア勢力、元ライブドア社員等々からの情報提供であった、という可能性は、かなりあるのではないかと思います。その辺の情報が、万が一、ねじまげられたもので、間違っていれば、東京地検特捜部も含め、それに乗せられて間違った動きをしている、という可能性もゼロとは言えません。ただ、特に東京地検特捜部の捜査水準は、世界最高峰と言っても過言ではなく、供述については徹底的に裏付けを取って検証する作業を丹念に行うので、これだけの大きな動きに至っているということは、そういった作業の結果、今までに収集した証拠に基づく事件の「見立て」に強い自信を持っていると見るのが自然でしょう。
2については、あるともないとも言えませんが、過去に捜査機関がライブドア関係で内偵に入っていて、関係者の口裏合わせなどでモノにならなかった、といったことがあったとすれば、「今度こそは」と意気込み虎視眈々と狙いつつ内偵を進めてきた、といった可能性はあると思います。
結局、動機や経緯に不純なものが含まれていたとしても、立件し起訴する、という段階にまで至れば、公判を維持し有罪判決を獲得できるか、という観点から厳密な証拠評価を行わざるを得ないので、その段階で、「はめる」「陥れる」といった要素を含めるということは、まず不可能というのが、日本の捜査(特に経済事件の捜査)の実態ではないかと思います。

静岡県東伊豆町長を逮捕 疑惑逃れで虚偽公文書作成

http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=soci&NWID=2006012201003461

調べでは、3人は昨年10月上旬、公共事業の入札に関する予定価格表などについて虚偽の文書を作成し、同月下旬、町議会に提出した疑い。

疑惑とは何か、なぜ、それから逃れるために、このようなことをする必要があったのか、と考えて行くと、この事件が「入口事件」であって、警察が、その先にある「出口」を狙っている可能性があると言えるでしょう。