IT企業が架空取引の疑い ライブドアなど18社関与か

http://www.asahi.com/national/update/1113/002.html

メディア社による架空取引は、02年8月〜03年5月で少なくとも18社が関与、計12回に上るという。メディア社から取引先口座に振り込まれ、取引先の大半は代金の一部を手数料として差し引いて別の会社の口座に送金、メディア社に資金が戻されていた。

こういった架空取引の相手方になって、協力行為を行っていた者については、横領あるいは背任(上記のような支出及び資金環流)の共犯となる場合があります。
また、こういった架空取引が、詐欺の手段として行われており、架空取引の相手方がそういった事情を知った上で協力している場合、関与の態様によっては、詐欺罪の共犯になる場合もあるでしょう。
日本人は、名前を貸してくれとか、形だけこうしてくれ、といった依頼に、深い考えもなく、報酬に目がくらんで協力する傾向がありますが、重い犯罪の共犯になる場合もあるので、慎重に行動する必要があると思います。

リスクを負う者が決定権を有するだけで済むか?

小倉先生のブログ
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/5b06616784ef9bea3cb69ea2e364c65d
に関し、若干の感想を。
確かに、リスクを負う者が決定権を有しています。しかし、その決定については、厳しい批判にさらされるということは避けられない(決定による影響度や関係する人の態度等にもよりますが)ことは指摘できると思います。最近、「説明責任」(アカウンタビリティ)が、あらゆる組織や人に対して求められるようになっていますが、インターネット上のサービスについても、そういった観点を無視することはできないのではないかと感じます。
また、「問題のあるコンテンツがある場合」に、送信停止措置や削除措置を講じれば、リスク回避ができるかというと、必ずしも話はそう単純ではないわけで、そういった措置を講じられて不利益を被った側からの猛烈な反発とか、法的責任の追及といった「リスク」のことも念頭においておくべきでしょう。
プロバイダ責任制限法上、そういった場合に、プロバイダ側の責任を軽減する規定が設けられているのも、別に無駄なことが暇つぶしでされているわけではなく、法が、そういった事態を当然想定していることを示しています。
現状としては、情報の流通により権利が侵害されていると主張する側のほうが、勢いがあったり、力もあったりする一方で、送信停止とか削除により不利益を被った側は、泣き寝入りしたり、文句を言うだけ言って終わったり、他のサービスに乗り換えたりして、上記のような法的責任の追及までには至っていませんが、今後は、権利意識の高まりの中で、そういった動きも活溌になると私は推測しています。
例えば、犯罪被害者についても、ごく最近まで、その権利などが広く意識されることはありませんでしたが、現状では、その権利に関して基本法までできるという状況になっており、「リスク」を論じる場合は、幅広く検討しておかないと、思わぬところで足をすくわれかねないでしょう。
いろいろなブログを見ていると、「無料で提供されているサービスなんだから、多少怪しいという程度で削除されるのはやむをえない」といった意見が散見されます。しかし、プロバイダ責任制限法にしても、また、従来の裁判例にしても、サービス自体が有料か無料かによって、運営者の責任の程度に特に差異は設けていないと思います。無料だからいい加減でも良いわけではないし、有料だからといってそれを理由に責任が加重されるわけでもない、というのが私の理解です(ここでは第三者に対する責任を問題にしており、消費者契約法上の消費者に対する責任は別論です)。
利用者からは料金をとらない場合であっても、ビジネスとして一応成立している以上、広告モデルであれ何であれ、何らかの形で収益はあげているはずです。利用者自身はお金を払っていなくても、利用者がそのサービスを利用している、ということで、そこに着目したスポンサーなどがお金を出して、それでビジネスとして成立している以上(辛うじて成立していたり、崩壊寸前というところもあるかもしれませんが、それは利用者のあずかり知らぬところです)、実質的には、利用者の負担をスポンサー等が肩代わりしているという見方も十分成り立つでしょう。したがって、利用者から直接料金をとるかどうかが、それほど本質部分(特に、削除等に関する利用者に対する対応の在り方)で差異を生じることなのか?という疑問も当然生じます。
収益をあげるというビジネスとしてサービスを提供していながら、苦情等への対応については、「利用者から料金をとっていないから」と泣き言を言い、利用者にツケを回しているようでは、やはり、そのサービスは長続きしないのではないか、と思います。
弁護士は、相談を受ければ、相談してきた人や会社が法的責任を追及されないように、「そういう怪しいコンテンツは削除しておいたら?」などとアドバイスしますが、そのサービスが利用者に信頼され、ビジネスとして成功するかどうかは、法的責任を免れるかどうか、だけでは計り知れないものがあると思います。法的責任を追及されたくない、という一心で、片っ端からいろいろなコンテンツを削除して、気がついたら、利用者は激減、スポンサーにも相手にされず、ぺんぺん草が生えているような状態になり、世間からも忘れ去られ、ビジネスは破綻、ということにならないために、何をすべきか、を真剣に考えるのが、経営の立場にある人には求められており、そういった「リスク」についても徹底的に検討して行かないと、真のリスク管理とは言えないのではないかと思います。

シンポジウム「企業の社会的責任」(その1)

現在、参加して聞いているところです。場所は早稲田大学。主催は、内閣府経済社会総合研究所早稲田大学21世紀COE「企業法制と法創造」総合研究所、です。

早稲田大学COE<<企業法制と法創造>>総合研究所
http://www.21coe-win-cls.org/

久しぶりに母校の早稲田大学へ来ましたが、昔あった建物がなくなって新しい建物を建築中だったりして、かなり様子が変わっているので少しとまどいました。
正門前の「成文堂」という書店にちょっと立ち寄りましたが、相変わらず法律書の品揃えが良く、感心しました。早稲田大学に立ち寄る機会がある方で、法律書を購入する予定のある方は、立ち寄る価値のある書店です。
その後、大学のすぐ外にある「三品」というお店で、牛めしを食べた後、19号館(昔はなかった建物で、すぐには場所がわかりませんでした)内のシンポジウム会場入り。三品には久しぶりに行きましたが、ここは、大盛りの量がものすごく多くて、司法試験を受験していたころ、時々利用して、大盛りを注文していたことが懐かしく思い出されました。

(続く)

ライブドア、架空取引報道でコメント発表

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2004/11/13/5400.html

ライブドアは架空取引について、「当社が株式会社メディア・リンクス社等と機器の仕入及び販売等の取引を行っていたことは、注文書、発注書等により確認しておりますが、当該取引は、検収書の受領や入金が確実に行われているため、通常かつ合法的な取引であったと認識しており、架空取引であったという事実関係はないと判断しております」とのコメントを発表した。
ライブドアによれば、当該取引を担当した社員は2004年春に退社しており、事実関係確認のため連絡を試みているが、現在のところ所在不明だという。ライブドアでは引き続き社内調査を実施、事実関係がわかりしだい追って公表するとしている。

検収書といったものは、実態がないまま作成することが可能ですし、報道されているところによると、取引を仮装して一旦入金したものを、「手数料」を差し引いてバックした、ということですから、「入金」があるのも当たり前で、これでは、「架空取引が存在しなかった」という弁明としては、あまりにも不十分でしょう。
担当者に連絡がつかないまま、こういった発表をしたようですが、連絡がついて不正が確認できた場合、当初の発表は虚偽だった、ということになって、取り返しがつかないことにもなりかねません。
最後の部分の、「事実関係の究明」ということを、まず優先するという姿勢を示すべきだったのではないか、正当性の主張は、究明の上ですべきだったのではないかという疑問を感じます。

シンポジウム「企業の社会的責任」(その2)

「三品」で牛飯を食べたりしていたので、遅刻して会場入りし、冒頭の挨拶等は聞けず、基調報告「企業活動とコンプライアンス」(今井猛嘉・法政大学教授)の途中から聴くことになりました。
報告では、日本の企業関係者(大企業中心)に対するアンケート調査結果を踏まえ、コンプライアンスや企業の社会的責任等についての意識などが紹介されていました。
調査結果を概観した印象としては、日本の企業(特に大企業)では、コンプライアンスや企業の社会的責任についての関心は、当然のことながら、既に持っており、コンプライアンスプログラムの整備など、必要な措置も講じつつあるが、何をどこまでやればよいのか、といったことが、なかなか把握できずにとまどいつつ日々の業務に取り組んでいる、という傾向が強いのではないかと感じました。

(続く)

コストとサービス

例えば、1000万円のベンツと、100万円の国産車があった場合、安全性について、100万円の国産車のほうがベンツの10分1でいいとか、国産車は安いんだから時々タイヤがはずれて歩行者にあたってもいいとか、そういった議論をする人はいません。
やはり、自動車としての一定以上の安全性は、上記のようなベンツであっても国産車であっても、同様に求められるでしょう。
また、例えば、1個1000円の饅頭と、1個100円の饅頭があった場合、100円の饅頭は、多少腐っていてもいいとか、カビがはえてもかまわない、という人もいないでしょう。食料品として一定以上の衛生度、安全性は求められるはずです。
もちろん、1000万円のベンツのほうが、100万円の国産車より乗り心地が良かったりオプションが充実していたりすることはあるでしょう。また、100円の饅頭より1000円の饅頭のほうがおいしいかもしれません。
しかし、世の中に出す物、出すサービスについて、利用者が一定の期待をしており、それが、上記のような安全性といったものと共通するものである場合(乗り心地とかオプション、おいしさ、といったところはそれなりの対価が必要でしょう)、「金がないからこの程度で仕方ないですよ」とは言えないのではないかと、素朴に思いますし、そういったところについて、「金がないからこの程度で仕方ないですよ」としか言えないサービス等の提供者は、作ったトラックのタイヤがはずれて歩行者に当たり死亡させるなどといった重大事故を引き起こした自動車メーカーのように、人々から見はなされるだけのような気がします。

シンポジウム「企業の社会的責任」(その3)

基調報告の後、4名の方々から基調報告についてのコメント。
甲斐克則氏(早稲田大学教授)、白石賢氏(内閣府経済社会総合研究所)のほか、企業の法務担当者として、総合商社から1名、損害保険会社から1名。
企業関係者は、社内におけるコンプライアンスに関する苦労話が中心。コンプライアンス意識が高くない人々に対し、コンプライアンス意識を持ってもらい、違法・不当な行為に及ばないようにするかが、いかに困難であるかが改めて実感されます。

CMカット機能「著作権法違反も」 日枝・民放連会長

http://www.asahi.com/business/update/1112/126.html

CMがカットされることは、放送局にとって死活問題で、あせって、こんなことを言っているのでしょう。こういうことを言いたい気持ちはわからなくもありません。
この論法なら、CMの著作権者は、自分の著作物が、いつの間にかドラマや野球などの「著作物」の一部に組み込まれてしまっていることになりますし、本当にこういう考え方に立つのであれば、それを前提にした権利処理をして行く必要もあるはずです。とても妥当な考え方とは思えません。

労災事故を監督官が勝手に書類送検、決定従わず停職処分

http://www.asahi.com/national/update/1113/016.html

これに対して、監督官は「送検すべきだ」と主張し、上司の命令を無視して捜査を続けた。送検用の公文書を独断で作成し、死亡者の出勤簿などの証拠品とともに地検支部に提出し、いったんは受理された。
 監督官はその日のうちに職場のパソコンで「書類送検」の報道発表用の文書を作成。「労災事件」の概要や「容疑者」名などを記し、新聞社やテレビ局などにファクスを送ったという。
 報道機関から労基署に発表文への問い合わせが相次いだため、同署は「誤報です」などと説明。地検支部にも連絡し、送検を撤回した。

この人は、職務熱心な人だったのかもしれませんが、ここまでやってしまうと、明らかに「やりすぎ」でしょう。
「送検の撤回」という話は、聞いたことがありませんが(普通はあり得ないことです)、本当に撤回できるのかどうか疑問です。組織の方針や上司の命令に反していても、この監督官の持っている権限の中で送検(送致)が行われていれば、有効であり撤回できない、という考え方も十分あり得ると思います。